草間彌生自伝の続きを読んだ

草間彌生自伝の

続きを読んでいます。彼女はパリ行きをけって、ニューヨークに行きます。

ニューヨークで彼女は、当時隆盛だったヒッピーやフリーセックスのムーブメントにとびこんでいきます。ハプニングと称するパフォーマンスでしょうか、らんこうをしているアクターのそばで、彼らの身体に水玉模様をつけていく。とか著名なアメリカ人画家との交流が述べられています。自伝全体を通してもっとも多くの頁を割いているのは、ニューヨークでの生活のことですから、芸術家としての彼女を育んだのはやっぱりニューヨークであって、残念ですが日本でも信州でもないですね。

 フリーセックス運動というのは端的に言えば「戦争よりセックス」という思想で、これを貫くなら、かなりラジカルで過酷な生き方をしなければならない。彼女は当時のニューヨークを素晴らしかったとのべる一方で、日本の保守性に批判的でした。彼女がニューヨークでのパフォーマンスを日本で行おうとしたときの、ただの乱交パーティのように取り上げてられて、その思想の面については全く見向きもされなかったことにいきどおりを感じたようです。

彼女は1975年に病気のことからやむなく帰国して創作の場は日本になります。現在は、寝ておきる以外はほとんど作品の製作に明け暮れているらしく、病院とアトリエを往復する規則正しい生活を送っています。埼玉で昨年行われた展覧会をみて、ものすごい作品からくるパワーに圧倒されていますが、この自伝から彼女のパワーの源がなんなのかわかったような気がします。