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持続可能な経済はどんなものか

 最近、読んで視野を新しくしたのは、平川克美さんの著作ですね。「移行期的混乱」や「小商いのすすめ」です。
これらをよんで通底するのは、すでに
就業者人口が減少傾向に移行した日本社会で、経済成長や成長戦略をとなえてももはや縮小は避けれないということ。そして、近代化を達成した各国は例外なく、少子高齢化の課題に直面しており、そのなかで日本社会が進むべきは、経済成長などなくともやっていくすべをみつけるべきと
。もちろん平川さんは、そこにバラ色の未来があるなどとは決して述べてはいません。パラダイムの変換に至るまで混乱が起きるであろうと述べています。
 一方では、「成長がなければ生きていけない」と唱え、それを現実的と述べている学者もいます。彼らが述べる現実的とは、「現在の物質的な豊かさに頼ったライフスタイルを変えないで、暮らせる時間をできるだけ先に引き延ばす」という意味でしかなく、いずれは破綻することは避
けられない。どちらが本当に現実的なのかといえば、平川さんの視点ではないでしょうか。
 平川さんは、文中で橋本治さんのエッセイを引用していますが、おかげで、本棚の橋本さんの古い書物を引っ張りだして再読することとなりました。昔から橋本治さんの著作は、気づかされる視点が多くとても好きなのですが、あらためて2007年の新書「日本のいく道」を読むと、橋本さんは、あっけらかんと、産業革命以前に戻った方がいいんじゃあない?といっています。それが難しければ、60年代前半の頃に戻ったらということです。
 必要もないモノであふれかえってしまった現状は、どこから起因するか?もとを正せば産業革命です。産業革命がもたらした大きな変化は、単に生産が機械化されたことではなく、大量生産が可能になることなのです。大量生産が可能になるということは、機械を回せば過剰な量の商品を造ることが可能になる。事業者の関心事は、必要な量の商品をどうやって造るかではなく、造り過ぎてしまった余剰な商品をどうやって売りさばくか、ということに注力される、価値の転倒が起きます。価値の転倒の連鎖が、現在のような必要もないモノが世の中にがあふれかえる状況に帰結しています。
 橋本さんが述べているのはシンプルなことで、価値観の転倒が起きる前まで戻る。産業革命以前にもどるべき。と説いているわけです。その昔、江戸時代まで、多くの人にとって仕事をする場所と生活する場所はすぐ近く、すべての動力は人力で、その前提で経済を持続させていくありかたは、とても洗練されていたと考えられます。だからこそ欧米以外で唯一、産業革命を経験したのは、日本の歴史が特異な点でしょう。
 ただし、注意すべき点は、江戸から明治にかけての殖産興業政策は、あくまで政府主導で行われたこと、すでに極めて洗練された手工業による経済が回っていた当時、別に人々は機械工業なんて望んでいませんでした。だからこそ、政府が音頭をとって工場を建て鉄道を通す必要があったし、けれど、近代化が達成され、人口減少社会に突入した日本でこれ以上、物量を追い求めるような産業が必要だろうか?といえば、もう十分だろうと思うのです。 
 一方で、中小企業を称えるのに批判的な意見もあります。例えば、一ヶ月前の朝日新聞土曜版でのコラムで、夏野剛さんが、テレビにゲスト出演して、VTRで町工場が称賛される姿をみたときの違和感を述べています。なぜに町工場のままでいるのか?従業員をもっと雇い、事業規模をなぜ拡大しないのか?と。しかし、これは現在の企業社会を前提としたものの見方のように思います。町工場単体では、必ずしも規模は拡大しなくても、このような町工場では、職人として一人前となれば、親方から独立して自分の工場を持ちます。単体で規模の拡大はなくとも、こうして発展した職人集団が、日本の高度成長を支えたのです。
 夏野さんのような見方は、職人の世界を知らない、サラリーマン社会の価値観で職人の世界をみると、なるほどそう見えるのだろうな、というサンプルと思います・・・
 今後、行き詰まった現在の企業社会に対するブレイクスルーは、日本の大企業からは生まれないでしょう。まったくの想像ですが、最先端の技術を、江戸時代の職人的な職場の中で取り扱う。そんな環境からでしか、次の世を切り開く経済のあり方は生まれてはこないと思います。