明治人の空間把握について

先日、小金井公園の中にある、江戸東京たてもの館にいってきました。最近は、旧い日本家屋のほのかな暗さに、良さを感じることが多い、谷崎潤一郎が「陰影礼賛」で述べた暗いことの良さを感じます。
 ところで、それとは別におもしろい発見がありました。高橋是清邸や三井財閥の豪邸は、立派な玄関と、大きな台所、たくさんの来客を前提として作られている。その一方で前川国男邸や隣の小出邸の個人住宅は、あくまで書斎を整えた
り、ベットをしつらえた寝室が用意してあるプライベートな空間。前者と後者のありかたの違いに興味を感じました。だからなのか、高橋是清邸には書斎はない。でも前川国男邸には書斎がある。高橋是清は明治生まれ、前川国男は昭和の人、単なる家の利用法にすぎないのでしょうか?それとも、明治から昭和にかけてのライフスタイルの欧風化にかかわることなのでしょうか?
 現代なら、私たちは、自分の家を所有したら、できれば自分
の部屋がほしいなどと、当たり前のように思うでしょう。でも、明治人の大豪邸には、まったく書斎というものが存在しないのをみると、明治時代まで、自分の部屋を持つなんていう感性そのものがなかった。さらには、現代人が日頃感じるような、プライベートな空間とパブリックな空間の分け隔てはなかったのかな?などと、思いを馳せるのです。江戸時代や明治人の人はどのような意識で空間を把握していたのだろうか?非常に興味があり
ますね。
 柄谷行人さんが書かれた本に「日本近代文学の起源」という本があります。そこでは、明治時代の文豪たちの作品を年代ごとに取り上げて、非西洋的な空間把握から西洋的な空間把握への移り変わりを説き起こしています。本棚の奥から引っ張り出して読みなおしてみようと思います。
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