特定秘密保護法案とのんきな官僚たち

 秘密保護法案が強行採決され、今週の新聞社説やコラムで、さっそく批判的に取り上げられていました。朝日新聞では、治安維持法の制定時のエピソードが載っており、 時の首相、若槻礼次郎が述べるには、当時の委員会での議論で、わからないと文句ばかり述べていた出席者。国体の護持うんぬんという文言を入れたとたん目が輝き「これだ」という雰囲気になったそうです。彼らにとっては、国民を統制することにしか関心がないことを
痛感したとのことです。
 また、安富歩さんの「東大エリートは暴走する」を読むと、官僚養成所である東大の指導には「バランス感覚」とか「立ち位置をはっきりさせる」など暗黙の方針があるとのこと。物事の真実を追求するよりバランスや立場を重んじるやり方に、安富さんは疑問を持ったそうです。そんな指導方針に乗っかって教育を受けた東大生が、続々とエリート官僚になっていく、そもそも彼らは、中学高校と難関校の受験
勉強をくぐり抜けています。あらゆるケースに対応する能力を、彼らは身につけています。しかし、彼らのくぐりぬけた生活にぬけ落ちているのは、教養に基づいた自分なりの考え方や信念や良心は、持つべきものでないと刷り込まれてきた。戦術はあっても戦略はないと思うのです。彼らを称して「最強の事務員」というのはある面で真実なのだと思います。復古的な思想を持つ現政権の政治家の裏で、そんな受験エリートたちがばっこする。
自分たちの職務に忠実な彼らの心情は、法案を通すためなら、悪魔に魂を売ることさえ迷わない。
 ただし、この法案は、彼らの身にも降り懸かると思うのです。週刊誌の官僚の覆面座談会の記事。これがどこまで本当かどうかはわかりませんが、彼らは「たぶん自分の身には降り懸からないだろう」とたかをくくっている。ブログやツイッターで暴言をつぶやいて、処分を受けた官僚がいましたが、彼らの振る舞いには、どこか子供のような
全能感をかかえている印象を持つのです。
 明治政府が帝国憲法を作成したときにドイツに派遣された役人は、法律の条文が実際の統治にどう作用するのかわからず、言われるまま作った側面があったそうです。その後、大逆事件やらなんやらの出来事が起こり、どう作用するものか、身をもって学習したのだと。
 言いたいのは、法律が運用され始めると、制定した当人の意図を離れてひとり歩きする。秘密保護法案は、直接には彼ら官僚
たちが対象となる法案ですが、当の官僚たちののんきさにかえって不安感が増幅されるのです。