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ETV特集「作家火野葦平の戦争」を観て

 12月7日に放映されたETV特集では、戦争と向き合った一人の作家の姿を取り上げていました。その作家とは、火野葦平のことです。戦争に従軍した彼が残した膨大なメモが発見され、その本を見た浅田次郎が、なんとまめな人だったのかと感嘆していました。まったくその通りで、小さい手帳の中にびっしりと小さな文字が書き連なっていて、非常に生真面目な人だったのだという印象です。

 彼は作家のかたわらで、日中戦争、太平洋戦争に従軍しました。作家の身であることから報道に配属され、宣伝活動が主な任務ではあったものの、戦場にもかり出されます。彼の生真面目さからか、おそらくその仕事ぶりは、非常に真面目に取り組んでいたようです。捕虜への思想教育にも関わっており、捕虜への講演も行っています。彼は武士道とか、共栄圏の思想を話したらしく、生真面目だからこそ「アジアは一つ」というい大東亜共栄圏の思想を真に受けていたのだと思いま

す。

 ただ、肝心の教育をうけた捕虜たちが、解放後に日本側に付くことはありませんでした。彼らにとってはめちゃめちゃになった自分たちの土地で、どうやって暮らすかのほうが大切で、高踏な思想などは不要だなのです。

 敗戦になり、日本に戻った彼を待っていたのは、公職追放令であり、戦争協力者としての責任を問う非難の声でした。彼はそのころにはずっと家にこもっていたようです。やがて、かつて従軍されていた中国に招

かれて行く。自分なりのわだかまりに決着をつけたのでしょうか?自伝のような小説を書いて、まもなく自殺します。彼が自殺をしたのは、敗戦から15年をへた1960を過ぎてからのことです。

 日野葦平はまた、戦時中大ヒットとなった、小説「麦と兵隊」の削られた箇所に戦後になって追記を行いました。それは、死にかけの中国兵に自ら手をかける場面の文章で、当時は検閲で削除された箇所でした。

 彼だけではなく、真摯に戦

争に向き合っていた人ほど、帰国後の精神的ショックは大きかったのだと思います。死ぬまで、何十年も家にこもってすごした軍幹部もいます。一般的な歴史の解説では、敗戦から6年で講和条約。10年もたって経済的に復興すれば「もはや戦後ではない」とのかけ声とともに、忘れ去られる。

 戦争責任と一口にいいますが、その中身は、人それぞれです。それぞれが、戦争に向き合った人生の大きさに比例して、帰国後の振る舞いにも大

きな影響が与えられた。彼の振る舞いが、我々に問いかけるのは「そんなに簡単に忘れられるだろうか?」ということです。かれが、戦後になって、兵士として従軍した自分の振るまいに答えを見つけるまで15年かかったこと、しかもその答えは自殺だったということ。その重さに考えさせられます。