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靖国神社への参拝がなぜいけないのか考えてみる

 昨日、安倍首相が靖国神社を参拝したことで、予想されたことですが、諸外国から非難を受けています。私のツイッター上でも、非難の大合唱です。

 そんな中で、茂木健一郎さんの意見は、安倍首相を非難するのに、国益を考えて自制するべきという非難は間違っている。安倍さん個人の内面の自由は尊重されるべき。とのありました。

 確かにこれには、一理はあって、「自制すべき」という非難のしかたというのは、どこかおかしいなと思います。「個人の想いがどうであれ、空気を読んで、自分の心情は我慢しなさい」という非難のあり方は、では首相が個人の心情を吐露することはいけないのか?ということになってしまいます。それはおかしいことです。

 作家の大岡昇平の思索の歩みが参考になるのかなと思いました。戦争までの彼は、英米文学に親しむいわゆるインテリでしたが、召集されてフィリピンに赴任する。フィリピン戦線では捕虜になり、その時の出来事が「不慮記」という小説になっています。それとは別に、彼は後年「レイテ戦記」という小説を書きました。これは、フィリピンのレイテ島の戦線と、その戦いの行方を描いた小説です。小説のなかでは、一般の兵を見捨てて島外に逃げていった指揮官をを非難する一方で、絶望的な状況の中で戦った一般兵については、よく戦ったと賞賛しています。リベラル的な心情を持っているはずの彼でさえ、「英霊」と兵士を称えるような心情になっているのです。

 でも、彼は思い直して、レイテ戦記の最終章のあとに、その後のフィリピンの行方を付け足しました。戦争の最大の犠牲者は、アジアの一般市民であったという結論にいたります。非難されるべきは、頼んでもいないのに他国の領土に侵入して、国土を破壊し一般の市民を巻き添えにした行為です。

 戦後の日本を語るときに講和条約や憲法のことばかり語られますが、実は戦後の日本の基点は、ポツダム宣言の受諾であって、日本の政策が誤っていたことを認めたものにほかなりません。靖国神社に参拝するということは、日本の政策を誤った方向へ導き、戦争を指導した政治関係者を崇める意味になります。欧米諸国にとっては、ポツダム宣言の破棄を語るのも同然の行為に写るでしょう。

 なぜ、安倍首相が靖国神社へ参拝するのが間違っているのか?空気を読まずに自制できない安倍さんが悪いのではありません。戦争指導者たちは崇めてはいけないのです。