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夢想家が国権を語るのは日本の伝統らしい

 板野潤治さんの「近代日本とアジア」を読んでいるのです。明治時代、アジアに対しての先人たちの意見が、どのように変遷していったか?例えば福沢諭吉が、どのようにアジア協調から脱亜論へ変遷していったか?を述べた本です。

 で、板野さんは、これらの論の中に、内在する思想的なものがあるのではないかと調べたが、そんな思想的なものはなかったと身も蓋もない結論をつけています。また、欧米列強の脅威によって、日本が植民地化されるかといえば、それほど現実の脅威ではなかったとも。福沢諭吉を初めとする論者が、いかに起こりうる現実を、時勢に合わせ都合よく納得した理屈にすぎなかったのではないかと思います。

 邱永漢さんの「サムライ日本」というエッセイで書かれた言葉を思い出しました。日本で育ったものの、日本社会に対してはアウトサイダーである邱さんの文章には、かなりギクリとする言葉がちりばめられています。そこでは日本人は夢の多い国民であり、現実を無視した理想主義者がおおい。夢想家は常に極端から極端に走る傾向がある。かつ日本人がセンチメンタリストであると述べています。しかも、そのセンチメンタリズムは、はなはだ現実に対する抵抗力が弱いのが特徴と。

 この「現実に対する抵抗力が弱い」というのは、坂野さんが取り上げた論者すべてに共通していることです。ある時はやれロシアと協力せよ中国と協力せよ、といいながら、わずか2ー3年後には、まったく平気でま逆の意見を述べる。読みながら、少々あきれてきました。

 しかし、そうあきれてばかりもいられないですね。100年以上をすぎた現在も、同じような夢想家の議論が横行していますよね。やれ中国と戦争をしたらどうだとか?韓国と国交断絶とか・・・あまりにも極端で心配になりますね。