ETV特集「核燃の村 苦悩と選択の記録」を見る

 2006年に放映された、六ヶ所村についてのETVドキュメンタリーが再放送されていました。そこでは国の政策に振り回され、破壊された地域共同体のありさまが、当事者によって語られています。

 六ヶ所村に大規模な開発計画が持ち上がったのは、1970年頃です。当時の村長は反対を叫んでいましたが、県と国、企業筋はお金の力や接待で反対派の有力者を懐柔、村民一軒一軒も同じように懐柔していった。パーティを開いては、村民をバスで迎える。銀行筋はどんどんお金を貸していき、もはや反対といえないようにしてしまう。

 ところが、オイルショックのために計画は頓挫。膨大な未開発の用地が残ります。番組にでてきた、ダンプの運転手夫妻。計画がされれば働き口もできると見込んだが、企業はやってこない。建設現場で働いたりと。そして、この土地を有効利用するという名目で核サイクル施設の建設用地として転用することが計画されていくのです。

 結局、計画の賛成反対で村が二分されたあと、今度は、核サイクルの反対推進でさらに村が二分されます。元漁協の組合長は、村長選挙で凍結をとなえた候補者と、協定を結んで支持をしたものの、当選後、村長は協定などなかったように振る舞う。元村長がかたるところでは、この協定はわからないまま押したのだから有効ではないとのこと。ですが、元組合長から見れば、非常に理不尽なことでしこりを残す。で、次の選挙では結局、その私恨の果てに、次の選挙ではなんと建設推進派の候補を応援している。これは、有力者の例ですが、実際にはそれだけではないでしょう。多くの隣近所どうしが争いに巻き込まれ、地域共同体のつながりが破壊されていったのだと想像できます。

 そんな様子を、ながめていたもう一人の出演者である、焼き鳥屋の主人の語りはつらかったですね。職業柄、村の争いを中立の立場で見ていたのでしょう。誰もが顔見知りであるせまい村のなかで、賛成反対に分かれた隣近所同士が敵対して、追っかけまわしたり尾行したり詮索したり。語りながら涙ぐんでいた。その気持ちを察すると痛くなります。