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太田記念美術館「追憶の広重」を見て

 大田記念美術館で開催されている「追憶の広重」という展覧会を見に行きました。太田記念美術館はこのところ、好きな場所です。

 今回の展示では、歌川広重の「名所江戸名所百景」をもとに、現代の東京の景色と照らしあわせて見る趣向の展示です。品川、浅草、両国のあたりと、見知ったなじみの景色がほとんどなので、その景色を思い出しながら、描かれた江戸の景色と照らしあわせて、当時をこんなんだったのかな?なんて頭に思い浮かべるのが、とても楽しいですね。

 で、今の東京と江戸とを比較した違いは、ひとつは、水辺との距離感が全然違いますね。今回の展示では、ほとんどの画に、品川だったら海、浅草や向島なら川と必ずブルーの部分が現れます。ブルーの部分に船がずらっと並んでいるのも違いますね。これらは、今だったら首都高速の高架が立ち並んでいるし、コンクリートの護岸であったりする場所です。

 そして、緑の部分が多いのも違いますね。町中でも建物の間は、当時は草がぼうぼうに生えていたりしたのでしょう。そして、飛鳥山公園など、少し郊外に出れば、緑が深い。いまのように町中であれば、建物と建物の間はぎゅうぎゅう詰めであるというのとは違うようです。

 なにより、当時の江戸城は、現在の皇居と比べてもかなり巨大であったようです。その存在感は現在の皇居の比ではないと想像できます。また、画題として、当時の武家屋敷が登場することは少なかったものの、描かれた各藩の屋敷は、かなり巨大なものであったようです。浮世絵はあくまで町人の楽しみであるので、日本橋とか下町を取り上げることのほうが多いですが、現実の江戸の街は、かなりの部分、武家屋敷や江戸城の土地がウエイトを占めている場所だったようです。

 総じて、絵から感じる江戸の街は、人間の背丈にあった規模の街だったように思いますね。経済活動にまつわるすべてが人力によって成り立っていたからこそ、街も人間の背丈以上に巨大にはならなかったようです。

 日常生活の活動範囲は、私自身は、別に江戸時代の規模で十分じゃあないの。と思っている人間ですが、それを差し引いても、あの首都高の高架は醜いですね。今まであれが醜いと実感したことはありませんが、それ以前の姿と比較すれば、やっぱり醜いと言わざるを得ません。オリンピックに向けて、せっせとインフラを整備するよりも、まず日本橋の真上の高架ぐらいは取り払ってほしいものですね。