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橋本治「江戸にフランス革命を!」を読む3

 橋本治さんの「江戸にフランス革命を!」は、江戸に関する考察をしながら、現在を見渡す視点があります。見解は述べてはいませんが、士農工商という身分制度の中の、農民階級についての疑問を述べているのが、実は鋭い見方だと思いました。

 おそらく当時の人口のうち、もっとも多かったのは、農民階級です。ですが不思議なほど農民が残した書物とか農民出身の有名人で現在に至るまで名前のしれた人がいないということはなぜなのだろうか?との問いを橋本さんは発しています。また、近代に入っても農家出身の作家はまったくといっていいほど存在しない。これはなぜなのだろうか?そして、商人については心学や寺子屋、武士についてもいろいろな思想が江戸時代には芽生えています。ですがそれに対応する思想は、農民階級から生まれていないこれはなぜなのだろうか?「農家のせがれに学問はいらねえ」のひとことが典型的です。これはいったいなんなのだろうか?

 橋本さんはこの問いに対する回答を述べてはいません。

わたしなりに考えるとなんとなく思い当たる節があるのは、農民階級にはそもそも実体があるのだろうか?ということ。実は、農民階級というのは、支配階級である武士階級が自己投影した鏡であったのではないか?と思います。武士階級の心の故郷は農民にあるし、それらは「鉢の木」などの話からも伺いしれること。

 中世から近世にかけての出来事の中に「刀狩」や「検地」というのがありますね。これは、もともと農民でもあり兵士でもあった当時の人々を、刀をもてる人=武士と、刀をもてない人=農民 に分けた出来事です。このようにしてもともと一体だったはずの武士と農民は階級として切り離されていく。だから切り離された農民の側に自意識など生まれるはずもない、農民階級自体が、多分に武士階級が自己投影した像でしかないから。というのが私なりに考えたことなのです。

そう考えると、学校でならった江戸時代の歴史は、士農工商という身分制度がまず前提になっていますが、これらの4階級は、それぞれ並列で存在していたと考えがちですが、この認識はどうも疑ってかかったほうがいいですね