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宮本常一「私の日本地図ー萩」を読んで

 「私の日本地図」という宮本常一さんの書、かれこれ40年以上も前に、宮本さんが歩いて調べた各地のルポです。そのシリーズ中の、萩の巻を借りて読んでいます。

 萩という街は不思議なことに、明治維新の勝者である長州藩の中心であったのに、その後すっかり寂れてしまった、現在はたかだか人口五万人の地方都市です。周りの地域は過疎になやむ地域です。この街で育った維新の立役者は一杯排出していても、この地域が明治以後恩恵を受けたようにはとてもみえない。

 宮本さんがあげた理由は二つ、幕末をすぎて藩政の中心が萩ではなく山口に移ったこと、そして後に「萩の乱」と呼ばれる反政府の事件が起きたことも理由だと思います。萩の街から東京にでて、官僚となった士族たちは地元での反乱にショックをうけたのでしょう。そのことが萩の近代化を遅らした。

 藩政の中心でなくなり、政府に歯向かったことで、萩の街は見捨てられたようになる。たくさんの人がでていき、その後萩の街は空っぽになったようですが、宮本さんが感銘を受けているのは、それでも萩の街がなくならなかったことだと。近代化を求めて士族や商人たちがでていった後、萩の街をささえたのは、むしろ近代化にとりのこされ、それでも萩の街で積極的に生きていこうとした人たちと、その街を支えた周辺部の営みだったと述べています。

 そんな一つの例は、萩の沖合にある見島という島です。ここの島民は明治の時代は、そうとうの辛酸をなめたということです。明治維新になり、旧藩札がまるで価値がなくなり、島民の借金が膨らみ、とうとう、島は一時、借金のかたとしてまるごと買われていたそうです。それを島民たちが協力して、十数年かけて完済したとのこと、それは大変な苦労だったと思います。

 とはいえ、このあたりの集落は、本に書かれた40~50年前の時点ですでに過疎化になやんでいます。田畑の作物は立派に実っていても、人の姿がまるでない農村の姿に宮本さんは憤りを感じています。

「・・・そういう生き方が何故いけなくなったのであろう。なぜ間違っているといわれるようになったのだろう。工業文明というのはこういう生き方を否定することに意義を見い出しているのだろうか。政治はまた農民のこうした生き方を否定することを、正しいとしているのだろうか。」引用P238

 土地にしばられた生活こそが、必ずしも善ではありませんが、近代化の中で、地方を捨てて都会にでる事がよしとされる価値観。この流れが行き着くところまで進み、限界に達しようとしているのが現在の状況です。

 そして、宮本さんが憤りを見せた、田舎を捨てて東京に、という流れの元になったのは、皮肉なことに萩の街を出て、中央で明治政府の官僚になった人たちですね。

 「萩の乱」で故郷の人たちが、自分たちに刃向かったことに内心えらく傷つき、恨みに似た感情を持つ。そのことが、日本の近代化が、地方を切り捨てて、ひたすら中央集権に突き進むきっかけのひとつになったのでは、と夢想して仕方ありません。