信濃路を巡る(一日目)

 中山道を、延々と歩く旅を今年の冬から始めました。始めたというよりは、歩いているうちにおもしろくなってきて、酔狂にも全部歩き通してみよう。という気持ちになったのが、今年の冬ころです。

 現在は、信州路を歩いています。今回は、岩村田という宿から和田峠を抜けて、下諏訪までを三日間で抜けようとする道中です。

もともと岩村田宿のあるあたりが佐久市の中心街ですが、至近距離に新幹線の佐久平駅ができ、周囲にはイオンが立地、そちらのほうがすっかり中心街になったようです。岩村田はすっかり閑散としています。

 岩村田小海線の踏切までが前回の終点です。まずは塩名田までを目指します。空模様があやしい一日でしたが、出発のころは雨は止んでいました。油断してました。まずいことに市街地を抜けて、田園地帯に差しかかるころに雨が降り出しました。あっというまにかなりの雨量になっていきます。雨具の用意はしたものの、雨をよける場所もなく、濡れながらやむなく道中を歩きます。晴れていればあたりはのどかな田園風景なのですが、それを楽しむ余裕もないですね。雨をよける場所もない。田園地帯を抜けて道は登り坂になります。途中に駒形神社という名の古い神社を見つけて、一息つきました。周りにはこんもりとした林が広がります。

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 駒形神社をぬけてしばらくいけば、塩名田の宿場に到着。ここは、千曲川を渡る手前の宿で、江戸時代には舟を並べた橋が架けられていたそうです。川に向かって宿場は延びていきます。この辺の川岸は川岸段丘状になっているので、川に近づくほど坂がきつくなりますが、川を渡ると次は、坂を上ることになります。

 坂を上りきったさきは、意外なほど見晴らしのよい田圃が広がっており、真ん中に大日如来がありました。昔の旅人も苦しいときには、道ばたの道祖神に、思わず手をあわせたことでしょう。私も同じように手を合わせます。

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 田圃の中をしばらくいけば、遠くに八幡宿の家並みが遠くに見えてきます。雨足が強くなければきっと、極楽のような道中なのだろうと・・・雨が恨めしいですね。八幡宿には昔の面影はあまりないとガイドブックには書かれています。確かに古い建物こそありませんが、ここがかつて宿場町であったことは、明らかにわかりますし、決して味気ない町などではないですよ。特に真ん中の八幡神社は立派な門を構えた堂々とした門の神社です。感心しました。

 八幡宿を抜ければ、望月まではひと山を越えます。中山道を示す看板はありますが、並行して走るバイパスと交わったり別れたり。そのたびに、どちらを行けばよいのかわかりづらい。雨はいっこうにやむ気配もなく、気分が非常に不安になる場所ですね。

 それでも、瓜生坂という場所を抜ければ、望月宿が見えてきます。

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宿場町が見えたときのほっとした気持ちは、昔の旅人も同じようだったのでしょう。望月の宿は、山間にこじんまりと佇んでいる静かな町ですね。近辺にスーパーのたぐいもない。途中に歴史博物館がありましたので立ち寄りました。ずいぶん立派な建物です。

 それによると、望月宿は相当に大きな宿だったようですね。そして養蚕で栄えたようです。江戸末期から明治初期、生糸は日本の最重要な輸出品目でした。展示された服はどれも非常に立派なもので、夏祭りには立派な御輿が町を練り歩くようです。かつては非常に豊かな土地であったことが実感されます。

 一日目はここで終わり。そのまま旅館で泊まります。