伊勢物語を読んで想うことあれこれ

突然のように、古文が読みたくなりました。図書館で探したけれど、あるのは現代語訳やら解説書ばかりで原典がない。困ったあげく書店に駆け込めば、こちらも似たり寄ったりの状況でしたが、幸い岩波文庫の黄版が置いていて、なんとか見つかりました。

古文が読みたいと思いつつ、では何が読みたいかと言えば、どれでもよい。ともかく古文読みてえ、という我ながらよくわからない欲求ですね。 で、買ったのはと言えば「伊勢物語」一番薄くて安いからという、この理由も我ながら、非常にいいかげんなものです。  

ですが、予想外に伊勢物語は面白くて、魅惑的なものでした。それぞれの話は「むかし、をとこありけり」で始まって、その後は男女のうたのやり取りと、シチュエーションが描かれているひとつひとつの話はそれでお終い。非常にワンパターンなものですが、うたに込められた思いを想像すると、そこにはいまでも歌われるような、恋の駆け引きや心の機敏を感じられます。それは絶対に、うたという方法でしか表現できない心の機敏なんだろうな、と思わせるものです。

 そう言えば、最近亡くなった、私の叔母さんが、詩を作っていて、だいぶ前に自費出版の詩集を読んだことがあります。教職に就いていた叔母は、身体も弱く早めにリタイヤしたあと、長く老人ホームで暮らしていた人です。その詩は、「強くなりたい」という想いが吐露されていました。身体が強くない人だからこその正直な欲求だったと思います。今ではわかるような気がします。

伊勢物語の頃から今のうたも込められた想いの質は、そんなに変わっていないのでしょう。でも、それは進歩がないと悪く捉えるのではなく、昔も今も変わらない普遍的な価値なのだと肯定したいですね。