信濃路から木曽路へ(2)

 一日すぎた、塩尻はやっぱり怪しい天気です。雨さえ降らないでくれれば、と願うのですが、いったい全体どこから沸いてでてくるのかというほどに、山の向こうから雲がどんどんわき出てきて、分厚くなっている。
 昨日述べたように、現在の塩尻駅は30年前に峠をぬける新線が開通したときに移転した駅です。それまで、中央線は岡谷から名古屋へそのまま通過されるようになっていて、それまで名古屋からの特急「しなの」は、塩尻でスイッチバックしていたのです。だから駅のあるあたりと塩尻の宿場は離れてしまっている。地方都市の象徴であるシャッター商店街や盛り場の廃墟もない、非常に静かな場所です。
 洗馬駅に戻れば、昨日とおなじ静かな光景。今日はここから歩きを再開します。気がつけば、洗馬宿に宿場町のころから残っている建物は、ほとんど見あたりません。高札場も残っていますが、跡ばかりです。
 洗馬から次の本山までは、1時間も歩かずにすぐに着いてしまいます。本山宿といえば、そば切り発祥の地とされていて、集落の中には「そばの里」と呼ばれる建物もあります。ですがなにぶん朝早くて開店前、そのまますぎます。こちらには、そこそこ古い建物が残っています。特に中心あたりには重文指定の建物が3軒軒を連ねています。二階のほうが一階よりも出っ張っている建物の造りはよく保存されていますね。

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 本山宿をすぎ、しばらく行くと「これより先、木曽路」という碑が建てられています。おもしろいもので、ここをすぎるととたんに、あたりの谷が深くなり、全く平らなところのない風景に変わっていきます。そんな狭い平らな土地に茶屋本陣という建物がしっかり建てられています。
 木曽に入ったらすぐに、漆器のお店や工場が点在します。ここから楡川までの間は、バイパスと旧道を離れたり合流したりを繰り返します。集落とつながっている旧道を通ると、まだまだ古い建物が残っています。これらの中には、実際には人を泊めていたりする建物もあったのではと想像できます。
 贄川まであとわずかというところで、突然山道に変わります。塩尻の町では「クマ出没」という放送がスピーカーから流れていて、山道はやはり不安になります。クマ除けの鈴をざっくに取り付けます。
 山道を抜けてから贄川駅が見えてきます。贄川宿は木曽の北端にあたります。まわりには復元された関所が建てられています。夫婦連れの観光客がいました。
贄川の宿も、宿場町の風情こそ残りますが、それほど古い建物はありません。途中で土地のおばさんに話しかけられました。中山道歩きであると言えば、お気をつけてといわれました。関東人にとっては、こんな具合にいつ雨が降ってくるのかわからない天気は、とても不快なのですが、土地の人はさほど気にかけるふうでもないですね。このあたりの秋の天気というのは、こんなふうに雨がふったりやんだりを繰り返すのが標準なのでしょうか。

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 贄川の宿場を抜けると、脇に大きなトチノキがあります。トチノキは古くから山の生活と結びついていた木です。一生懸命アクを抜いてトチモチにしたりと。このトチノキは樹齢1000年と推定されるとのこと。脇にはちっちゃな祠があります。昔の人は、このような大きな木などをみれば、そこには神が宿っているのだと信じていました。それはアニミズムとでも呼ぶしかない、神道の信仰は、そういったものの集積であるのです。もっとも今は、トチノキの脇で、おじさんがゴルフの練習をしていました。神々しいからといって、あんまり神秘性を演出するのは好きではありません。このくらい俗っぽいシチュエーションのほうが親しみを感じますね。あたりは、進むに従って、次第に漆器店が増えてきます。

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 道の駅をすぎて、入った木曽平澤の町、道を行けども行けども漆器店が軒を連ねる。細い谷の集落にこれだけの店が集まっている。ひとつひとつの店によって、伝統的なのかモダンなテイストなのか、普段使いなのか美術工芸品なのか扱う品々も異なれば店構えも違う。栃木出身の私にとって、このような地場産業が集積されている土地といえば、益子を思い出すのですが、密度はこちらのほうがすごいですね。ほんとうにびっくりしました。ただし、日曜は多くの店が休みのようですね。ながめるだけなのが残念です。
 せっかくなので、漆器の資料館をみてみることにしました。館員の方がいうには、長野オリンピックのメダルの一部に漆器の技術が使われているそうです。漆器を作る行程ですが、まずは木の樹液を搾り取り、その樹液を精製するのですね。現在はどこまで機械化されているのかはわかりませんが、この図や道具をみる限り、どこか遠い古代文化にまで繋がっているかのような錯覚を起こします。資料館には展示はされていませんでしたが、塗り物の技術はかなり古い物のようです。信州の地に弥生文化は広がらず縄文文化が主流だったと思います。これも稲作に起源しない、れっきとした日本文化の源流なのだと思います。

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 奈良井川のほとりをすぎて、たどりついた奈良井宿は、とても魅力的な宿場町ですね。休日ともあってあたりは観光客がたくさんいましたが、有名観光地にありがちな、大手流通のショップが存在しないこと。土産物屋なんかも、あくまで土地の人の住居。あくまで、土地の人の生活の場という基本が保たれていることで、ぎらぎらした看板もなく、節度が保たれています。宿場の中には、昔の旅籠の風情がそのままの宿も点々と存在します。今晩、泊まれないのが、とても残念な気持ちになります。
 今回の旅はこれまで、次回は是非、奈良井宿の宿に泊まりたいなと思っています。