松本健一「畏るべき昭和天皇」

 つい先日亡くなられた、松本健一さんが書かれた「畏るべき昭和天皇」という本を読みました。天皇や戦前のナショナリストにかんする書き物が多い松本さんは、一方で天皇の戦争責任は「ある」と明言している。右とも左ともどちらともいえない存在でした。ここで、松本さんは昭和天皇を「畏るべき」いや「恐るべき」と評しています。

 昭和天皇に、皆さんの記憶に残っているのは、春秋の園遊会の光景が、テレビで放映され、招待された有名人がいろいろとはなす。昭和天皇がはなすのは「あ、そう」という一言です。松本さんは、その言葉の深さと恐ろしさについて語っています。

 とうの昔に語ったことで、すでに当人も忘れていることなど、昭和天皇はよく覚えていて、幹部が切り替えせずに絶句している光景が本のなかで語られていて、松本さんは「記憶の王」という言い方をしています。特に開戦時には自分の利害に都合のいいように時局を評価する幹部を、叱責こそしないものの、矛盾を鋭くつっこんでいます。軍幹部を通さずに、自前のルートを探っていたようです。開戦時に戦争の終わらせかたを誰も考えてなどいなかった中で、昭和天皇は、ローマ法王に特使を派遣するなどの行動をしています。

 かといって、天皇自身の政治的な行動は、常に抑制的でした。田中義一内閣を叱責して辞職させたこと、その後まもなく、田中義一が亡くなったことが棘になっていたのか、内閣が持ち上げてきた内奏は、自分の思いとは別に認可することにしようと決めたのだと。

 その煮えきらなさが、軍の暴走を許したというのはその通りですし、弟畏るべき昭和天皇である秩父宮や、近衛文麿などからは批判されています。三島由紀夫などの自決事件も、そういった昭和天皇の決断力のなさを批判する流れに位置するのでしょう。

 ですが、本当に昭和天皇は決断力がなかったのでしょうか?決してそうではないと、松本さんは述べるのです。226事件では、はっきりと決起する将校たちを反乱軍と断定した。終戦についての動きを主導したことも同じような政治的な判断で、特には非情な判断を下せる、政治的な人間であったと述べています。おそらくは、昭和天皇自身にとって、日本は「朕の国」であって、国民主権という意識はなかったでしょう。一定のリベラルさを許容するのも、いわゆる「国体」に対して、責任を引き受けるという意味です。

 それはどういうことかというと、自分の支持者だろうが反対勢力だろうが、敵味方をわける思考をしないということです。共産党のデモがかたわらで行われていたときも「彼らも我が国の国民だろう」と語っていたそうで、226事件で反乱軍が持ちあげた真崎甚一郎の子孫である真崎秀樹さんを、後で自分の通訳として採用したり、決起した将校たちの子孫を歌会に呼んだりと、誰もが忘れたころに心の棘を抜くようなことを為す。

 それは、聖人君主のような「いい人」なんていう生やさしいものではないですね、接した人にとって「あ、そう」とすべてを受け入れつつもすべてを見通されているかのようなんでしょう。昭和天皇の畏ろしさ、いや恐ろしさといさとしか形容できないものだったと思います。

 松本健一さんのご冥福をお祈りします。