明治の精神と明治天皇

 松本健一さんは、前回「畏るべき昭和天皇」という本を取りあげましたが、もう1冊取り上げるのは「明治天皇という人」という本です。夏目漱石の「こころ」とか、明治天皇の死に殉じた乃木将軍の心境、司馬遼太郎さんの著作に現れる「明治の精神」というものは、私にはまったくわからない世界ですし、本を一冊呼んでわかるものではありませんが、一端くらいはわかった気になります。

 ともかくも、明治時代というのは、国を上げて近代化を突き進む、ものすごい変遷の時代です。明治元年であれば、まだ人々はちょんまげと刀の時代ですし、明治の最後の年となれば、日露戦争も終わり、インフラも整備されたころです。その落差はものすごい。やれ憲法を作り、いろいろなインフラを整備してうんぬんというのは、学校の歴史の授業で学ぶことです。そして、そんな劇的な変遷の時代を明治天皇は体現した。というよりは翻弄させられたのだろうと思います。

 明治天皇の姿といえば、サーベルと洋装姿の御しんえいが思い浮かびますが、そもそも彼が育ったのは、京都の御所のごく狭い範囲の暮らしです。そして、いままでであれば、ごく側近しか彼の姿は、御簾ごしでしか見ることはできなかったはず。それが、新政府にかわって、御所の外にでて、洋風の暮らしに代わる。ご真影だって本来なら直衣の姿で撮られるはず洋装にかわる。

 側近の顔ぶれも変わりました。周囲の公家たちではなく、西郷や大久保といった元勲たちが周囲につく、そしてなによりも信頼されたのが伊藤博文です。その姿を見る公家の人たちの中には、その姿を奇異の目で見る向きもあったでしょう。そのくらい、それまでの天皇とはまったく異なる姿なのです。そのように激変する中を生きてきた。明治政府という創作物を、うまく演じたのが明治天皇ではなかったか。亡くなったのは61歳。晩年の姿はどこか疲れているようにも思えます。だから、松本健一さんは、100人の歴史上の大人物を選ぶという企画のなかで、明治店王は

挙げなかったそうです。天皇そのものよりも、明治の精神というものが偉いのだと。確かに多かれ少なかれ庶民でさえも、この変化には翻弄されていて、その変化の中を泳いでいる。その象徴が明治天皇なのかと思うと、少しは明治の精神というものが、どんな気分なのかは一端にふれたような気がします。