半藤一利「日本の一番長い夏」

日本のいちばん長い夏 (文春新書)

 松本健一さんの、戦前や戦時中についてかかれた本を読みあさるうち、半藤一利さんの「日本の一番長い夏」という新書を見つけました。これがかかれたのは昭和38年で、様々な戦争の体験者を呼んで、終戦当時のことを語って貰うという企画です。総勢30人ほどの中には、現在でも知られた人がいます。吉田茂はもちろん、作家の大岡昇平や俳優の池辺良などが出席しています。

 終戦時、ほんとうに日本人は世界中いろいろなところに居たことがわかります。中立であったスウェーデンに滞在する外交官、アメリカのテキサスに収容されていた捕虜第一号、もちろん戦地に留まっていた兵士は、西はミャンマーから南はガダルカナル、北はシベリアまでと呆れるくらい広い。出席者の体験もさまざまで、30人が30通りの終戦時の経験を持っているはずなのですが、そこは残念ながら新書というフォーマットの制約でしょうね、立体的にその終戦の時になにが起きていたのかということを知るには、文量がやはり物足りなかったですね。

 それでも、終戦時には、一人一人がほんとうに奮闘していた事だけはよく読みとれます。長く続いた戦争をどうやって終わらすかということは、最終的にポツダム宣言を受諾したのは天皇陛下の判断ではあっても、その背中を押したのは、もしかしたら「生きたい」と奮闘した当時の国民一人一人の姿だったのではないかと思うのです。決して「お国のため」なんかじゃないです。

 個々の庶民は頑張っても、反対に日本の組織というものがまるでだめだったというのは痛感されますね。ガバナンスというものが、決定的に欠如していて、終戦工作でさえ、それぞれのグループがてんでばらばらに、知りうる情報のなかで判断し行動していますが、結局、ごく少人数のグループの中だけの行動に終わってしまって、内輪の行動に終始している。所属するグループが異なれば、お互いの持っている情報など全く知らないし、決して団結などしようとはしなかったのだと思います。

 一読して、そんな、めためたな組織の中で集団の中で、よく戦争を終わらせることができたものだと、感心するのですが、それは、ガバナンスが欠如しているという日本の組織の裏返しであって、この「病気」はいまだに解決されているとはとても思えませんし、治るとも思えません。

 戦争を知る世代が少なくなり、高度成長期の繁栄も遠くなって、いまでは戦争をやってもかまわないとさえ思っている人もいますが、やはり始まってしまった戦争は、終わらせることも、こんなに労力のかかることなのだということがよくわかります。玉音放送の前後、あわやクーデターというところまで事態が急転する。間一髪のところで放送できたことなど、個人の機転が首の皮一枚で、やっとこ繋がって戦争を終えることができた。

 過去の戦争から、いまの日本が学んだかどうかはなはだ怪しい以上、間違って戦争を行った場合、たぶんまた同じ過ちを繰り返すことでしょう。ガバナンスがめためたなのですから、いったん戦争を始めれば、事態をコントロールする能力など持ち合わせるはずもありません。むしろ太平洋戦争よりも悲惨な終わらせ方になるかもしれない。ありきたりですが、やっぱり戦争はいけないですね。