三島由紀夫「英霊の聲」

英霊の聲 オリジナル版 (河出文庫)

新年の一冊目は、三島由紀夫の「英霊の声」を読みました。松本健一さんの「畏るべき昭和天皇」には、この小説のことが引用されています。ですが、読んでみてもさっぱりわからないし、読者を悩ませる小説ですね。

小説は、226事件の将校たちや、特攻により戦死した兵士の聲が少年に憑依して、なぜ人間になってしまわれたのか?と天皇に対して嘆く話です。この小説に込められたのは、三島由紀夫による象徴天皇制を否定するメッセージかのようにとらえるのが通俗的な理解だと思いますが、読めばそう単純なものではないと思うのです。

もちろん、彼らの決起に大義はあると思います。当時の社会不安や政府の腐敗が彼らの決起の理由になっていて、腐敗の原因を、天皇の周辺に居る側近たちに求めています。ここでの将校たちは、自分たちの決起を、天皇陛下はわかってくれるのだと、無邪気にも信じ、ほめたたえてくださるのと願っている。 もはや、陛下にたいする忠誠心というよりは、恋に似たようなものではないでしょうか。 ですが天皇陛下はかれらを逆賊と断定した。

その後の歴史では、その腐敗こそが結局は、国を滅ぼしたのだという事もただしいでしょう。後に、天皇陛下は「立憲的に振る舞いすぎたために、軍の暴走を読んだのだとも語っています。」と戦後に述べていますが、将校の霊の嘆きは、ようは、天皇の聖断が必要だったその時に、なぜ立憲的に振る舞ったのか。人間になってしまったのか?と嘆いているのであり、全うな意見であります。先に述べた松本健一さんによれば、天皇陛下は決してでくのぼうではない。きちんと政治的な判断のできるという見方で、三島由紀夫の見方は違っていると述べていました。

ただしこの意見はもしかしたら、政治的にすぎる見方なのかもしれません。226事件と将校たちを仮構しつつ、ことさら政治的なメッセージを述べているのではないのかもしれません。彼ら決起将校たちの嘆きは、天皇陛下に対する恋の告白と、その恋が裏切られた事の恨みのようにも受け取れる。

以前、参議院議員山本太郎さんが、園遊会天皇陛下に手紙を渡し、非難されたことがありました。これを私は政治の問題ではないと述べました。山本太郎さんが天皇陛下に渡す手紙の中身は問題なのではない。皆がやりたいけれど「やってはいけない」とされている陛下への「告白」を、山本太郎さんが抜け駆けでやったことへの嫉妬であって、政治の問題ではなかった。

自死の事件から、三島由紀夫のことは過剰に政治性を帯びて語られます。ですが、彼の本質を理解するには、過剰な政治性を取り除いて考えなければならないとも思います。