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三島由紀夫「憂国」(英霊の聲)

三島由紀夫の「英霊の声」には「憂国」という小説も収められています。自死の光景を細かく描くのは、なかなかショッキングな内容です。

小説のすじは、226に親友の決起に関われず、逆に上官の命で親友の決起軍と戦わなければならない主人公が自死を選び、妻ともども切腹するまでの光景を描いたものです。読んだ印象は、エロティックとグロテスクと美が入り交じった、不思議な印象なのです。

ただ、私にとってこの小説は、本題よりも主人公がなぜに自死を選んだのか?と言うことが気になってしまいます。小説では妻と自死を選択しているのはあっさりという印象なのですが、この場合に主人公がとりうる選択肢は、①仲間の決起に加わり上官を裏切ること②上官の命令に従い、非情になって仲間と戦うこと③仲間とは戦えないし上官を裏切ることもできないので逃走するなどなど、よくよく考えれば他に選択肢はあったはず。それが、なぜ自死なのか?

橋本治さんの「江戸にフランス革命を」で語られたエッセイには、なぜ一揆を行った百姓は死刑に処されなければならなかったかについて考察されています。橋本さんはこの理由を一言「秩序を乱すから」と述べています。江戸時代に、百姓が不平不満のある場合、一揆以外に訴える手段がなかったわけではありません。藩の役人に訴える方法はあったのです。百姓が死刑になるのは、そのルートを破ったことに対する罪だと。ではサムライについてはどうだったのでしょうか?

御成敗式目に始まる、武士の掟が存在するのは、必ず歴史の教科書で学びますよね。サムライの世界が全く無法地帯であるかといえばそんなことはない。Wikipediaでみれば御成敗式目にも、やんわりとですが主人への裏切りは罪なことと書かれているように思います。ですが、主従関係があるのは所領を安堵するのが前提。武士道とは違う。

 戦国の下克上の世は、争いに明け暮れた殺伐とした時代だったはず、でも、中世の主従関係が崩れた、開放的な時代でもあったんだろうと思います。けれど、天下太平の世では、将軍を中心とした新たな主従関係を維持すること、秩序の維持が最も重要。江戸時代は、士農工商と呼ばれる身分による上下があったとされる時代ですが、本質はそうではない。身分同士が別々の世間で生きていた時代であって、年貢さえ納めれば、武士が農民のいさかいなど介入しないということです。

一方で、武家諸法度に規定されるサムライの世間では、死をおそれてはいけないとされ、恥をかくことを恐れるあまり、相手に対して不平不満を訴えることができない世界。まして帝国軍は、天皇陛下の軍隊とされる。その命令にしたがうのは絶対視されるでしょう。 三島由紀夫の「憂国」にて、主人公の軍人が自死を選ぶのは、そんな因果からなんだろうと思ってます。生き恥をさらすよりは死を。とかく人間は、生き恥をさらしながら生きるしかないと思う私には、この考え方にはやっぱりなじめないなと思いました。 英霊の聲 オリジナル版 (河出文庫)