橋本治「ひらがな日本美術史」

このブログ、気がつけば橋本治さんのエッセイばかりについて言及しています。橋本さんはデビュー作の「桃尻娘」から、いろいろまジャンルを書かれていますが、「桃尻娘」が、女子高生になりきった一人称で語られた小説であるように、「当事者になり切った」視点で論考されているのは、小説でもエッセイでもずっと変わらない、江戸の歌舞伎でも、現在のサラリーマンを題材にしても変わらない橋本さんの文章の魅力なんです。

今読んでいるのは「ひらがな日本美術史」1から10巻までシリーズになったものですが、大判の書物で新刊を購入すると、1冊3000円以上もするもので、図書館で借りました。「同時代人になったつもり」でかかれたエッセイは、ここでもいろいろな発見がありました。

たとえば、古代遺跡から発掘される銅鐸。朝鮮半島でも同様のものはみられるのですが、大きさが小さいもので、きちんと音が鳴る鈴として使えるものなのですが、日本で発掘される銅鐸ときたら、やたらに大きいばかりで、きれいな音がなるわけでなく、なんでこのように発展したのか?というわけです。「なったつもり」で考えれば、この銅鐸は、いまでこそ緑青の吹いたくすんだ色ですが、作られた当時は、きれいな銅の光り輝くものであったということです。大きな光輝く銅鐸がまんなかにおかれた祭祀ですから、さぞや立派なものだったのでしょう。なんの役にもたたないものが、なぜに競うように大きくなるのか?ここまでわかれば想像できますね。となりの家の冠婚葬祭がこんなに立派だったから、わが家も負けないように立派にしよう。なんて思うこと、多くの人が心あたりがあるのではないでしょうか?銅鐸が祭祀用として使われたことと、年々大きくなったことの理由には、そんなことが想像できます。十二単にしてもおなじことなのかもしれません。平安時代の頃、刺繍など衣服を装飾する技術は存在しません。そんな中で、衣服をたくさん着せて、大きく身体を見せることが、外見的にその人の偉さを表していたのだと考えると、非常に合点がいきます。橋本さんのエッセイそのものに、このようなことが直接にかかれているわけではないですが、「当事者になったつもり」になって書かれた文章は、単なる批評と違い、読むたびにインスピレーションをかきたてられる。私が橋本さんのエッセイを読みたくなるのは、そんなところからなんですね。