死人のように生きている(イザベラバードの日本奥地紀行)

イザベラ・バードの日本紀行 (上) (講談社学術文庫 1871)

イザベラバードの日本奥地紀行という紀行文は、英国人女性が140年前の日本の関東から東北地方をぬけ、蝦夷の地までを旅行した記録です。一般的には、文明開化が華やかで、西欧の書物が大量に導入された時期であること。そして、政府が雇ったお抱え外国人たちが進んだ欧米の技術を日本に移植するべく、来日したころともかさなっています。しかし、東京でこそ西欧化が始まっていても、地方はといえば、近代化とは無縁の暮らしを行っていたのが実情です。そんな地方のごく一般の人々の暮らしぶりがどのようなものであったか、取り上げた類書はほかにないと思います。

反対に、地方の人びとにとって、彼女は初めて見る欧米人でした。宿泊地では、大挙して訪れる野次馬たちに、どこでも悩まされています。旅館のふすまの陰から、数十のひとの目がのぞいているのが見えたり、道を歩けば、後ろに延々と人々がくっついてくる。

近代化以前の社会に、プライバシーというものは存在しません。旅館といっても、隣とは一枚のふすまで仕切られるのみですし、隣部屋でドンチャン騒ぎを始めることもしばしば。彼女を保護すべき側の警官でさえ、興味本位で彼女にねほりはほり聞くのだと。

彼女によれば、当時の日本の山間部にくらす人びとは、寒い時期を除いて、ほとんど裸でくらしていたようです。女性にしても平気で上半身をはだけたまま農作業をしている。また、宿には蚤だらけの部屋に閉口したり、なんらかの皮膚病を患っている人も多い。行き会った現地の人に、皮膚周りを清潔にしてあげただけで、かなりの人の皮膚病はよくなったそうで、ともかく原因は非衛生であることからだと断じています。近代化の国からやって来た彼女には、 日本の山奥は未開の地に映ったことでしょう。

一方で、彼女は、日本の地方のすばらしさにも言及しています。まずしいながらも、農村は非常によく手入れがされていて、そこに勤勉さを見いだしています。宿屋のみすぼらしさには辟易する一方で、よく手入れされた農村の風景や草花に、感嘆しています。

そして何より、物乞いがいない治安のよさにも感心しています。外国人女性が、安全に旅をできることが、それを証明してますね。日本社会の治安の良さは、現代だけのことではない。歴史的な伝統でもあるのですね。

けれども、そのことは日本の管理社会っぷりが歴史的なものでもあることを示しています。

彼女の文章の中で気になった言葉に、「死んだように生きている」と言う表現があります。それは久保田(現在の秋田市)を訪れた彼女が、町を褒め称える表現のひとつとして「城下町なのに、死んだように生きているようなところがない」と述べています。ということは逆に、多くの城下町の人びとのことを、彼女には、死んだように生きている。と感じているのだということです。

当時、多くの城下町は主を失い、城のあたりはどこも荒れ放題だったようです。そこに住む町人たちが生気のないのも想像ができるし、そもそも、城下町の暮らしそのものが、束縛の多い、窮屈で閉塞感の固まりのような暮らしであったとも想像できます。閉塞感のかたまりが、町人たちの生気のなさを表しているならば、現代にも当てはまるなと思います。それは、ぎくりとする表現でした。