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桂離宮と悪意「ひらがな日本美術史4」

ひらがな日本美術史〈4〉

 いわゆる「和モダン」の原点として、桂離宮は位置づけられているでしょう。まるで、現代建築かのような写真が雑誌に載ります。橋本治さんは、そんな桂離宮に、ずっと反感を持っていたそうです。というよりはその取り上げられ方の権威的なところが、嫌いだっとのだろうと思います。「ひらがな日本美術史」の第4巻では、そんな桂離宮を取り上げた文章が圧巻です。

 桂離宮が作られたのは17世紀の後半で、実は日光東照宮と同じ時代の建物ですが、そこには全く異なる美意識が現れています。見学は無料なのですが、事前に予約しないと入れません。見学した橋本さんは、回遊式の庭園を眺めながら、建物の中から庭園はどのように見えるだろうとうろうろしています。それで、ほんの少しだけ見る角度を変えるだけで、中からの景色が全然違うものになることを発見しています。実は日本の美意識の根本にあるのは「止まっていないこと」なんだと述べています。そういえばそうですね、江戸時代には、世間のことは「浮き世」といいますし、子供がひらがなを覚える歌は、いろはにほてと・・・。この内容は世の中というものは移り変わるものだという内容で、明治になり来日した外国人が残した記録には、まずもって、子供たちが一様に、こんな世をはかなむような歌で、文字を覚えていることにびっくりしているのです。そのような世界観は、そうか、建物と庭園の造作に現れているのですね。そのような配慮は、たんなる景観だけではなく、樋の細かなつくり、ふすまの柄、敷石の大小まで計算し尽くされていて、しかもその配慮は、いかにも「作りました」という作意を感じさせないところに、恐ろしいまでに力が入っています。

 東照宮が、どこか絢爛豪華な安土桃山の文化の集大成といった趣であるのに比べれば、桂離宮のの美意識は、「作ったこと(人為)を感じさせないよう造作する」ということが、極限にまで徹底されているのです。それは、強大な世俗権力の権威をかさにきた、きらびやかな東照宮の美にたいする、古都からのアンサーなのかもしれません。実際、桂離宮の造営を命じた親王は、一時は豊臣秀吉の養子にもなった人です。江戸時代の世にもはや天皇家だったり貴族たちに、政治的な権力はありません。そんな、人たちがつくる美は、おもてだった権威を見せびらかすことを徹底して排除したものです。もちろんそれは「いい人」が行う行為などではなくて、それは「悪意」だと、橋本さんは文章を締めています。そういえば、京都人の性格は、とかく意地が悪いのが特徴とか言われることがありますね。かといって悪人だというわけではないのはもちろんです。桂離宮を造作した京都人たちのことを考えると、そんな「悪意」のことを想像します。