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絵師と抑圧(ひらがな日本美術史5)

ひらがな日本美術史5

 橋本治さんの「ひらがな日本美術史」ようやく5巻まで読み進めました。江戸時代まで到達し、いまでも途切れることなく展覧会で取り上げられている絵師たちの作品が登場します。ですが、そこは橋本さんの解説のこと、単純に賛美するではなく、紆余曲折した思考の足跡が残ります。

 この「ひらがな日本美術史」かつて芸術新潮に連載された記事を集めた本ですが、どこかぼんやりと、巻ごとに中心となるテーマがあるのですね。この巻では、江戸時代のいろんな行き詰まりや転換点がテーマなんだろうと思います。

 江戸時代の転換点はどこか?橋本治さんは1765年という年をあげています。それは、きょうほうの改革の徳川吉宗が死去して、重商主義田沼意次が登場して失脚、その後に一大知識人である松平の感性の改革へと、改革また改革の時代です。その時代、浮世絵の登場前夜でもあるし、現代にものこる作家や画も同時代で活躍していたころです。それまでの元禄文化が大阪や京都中心であったのから、文化の中心が江戸に移動していく頃でもあります。

 18世紀の後半の時点で、日本画の活動はひきつづき京都が中心なのですが、行き詰まりや閉塞感もあったのでしょう。それまでの時代、水墨画が典型的ですが、絵師が描く深山幽谷の数々は、絵師にとっての理想郷ですね。いわゆる「描きたいものと描かれるものが一致している」状態なのです。けれど、この時代以降の作家たち、たとえば円山応挙など、精密な高い技術が表れている画であっても、そこに、「絵師の理想郷があるか?高い精神性があるか?」といえばないでしょう。または、さまざまなテクニックを駆使して、いろいろなジャンルの画を残した伊藤若沖、それぞれの画は質の高いものであっても、そこから彼の表現の核心はなんのか?というのは読みとれません。そのことは、同時代ではすでに見抜かれていて、円山応挙などは、絵師たちからは「精神性」がないと批判も受けているそうです。

 江戸時代、現在のような画家専業という絵師はほとんどいませんでした。絵師とは別に、彼らはれっきとした生業を持っていて、画を描くのは余技です。彼らが画を描くだけの生活を手に入れることができるのは、隠居した後なのです。この時代、生業は親から子へ代々引き継がれるのがあたりまえですから、生まれながら生きるコースはほとんど定められている。たとえば、武士という身分はやめることはできる。けれど武士をやめたあとは、彼の子孫の代まで武士には戻れない。画を描く生活それ自体が、浮世でまっとうとされる生き方からはみでた行為なのですから、画に描かれる過剰なまでの技術や精密さが、かえって社会の抑圧を実感させるのです。

 戦国の世が終わって、徳川中心の平和がやってくるけれど、それには徳川の世がひっくり返らないような抑圧的なしかけがこらしてあります。元禄時代くらいまでは、そのことを抑圧と意識することは少なかったと思います。しだいに、世に海外の事物はやってこなくなり、取り上げられるのは、日本古来の事物が中心となる。歌舞伎で演目の多くが古事をネタにしているのが典型的でしょう。まして徳川を批判するような表現は禁止される。そんな政治的な抑圧が絵師たちの日常に、直接に影響をおよぼすことは少ないけれど、18世紀後半の時代になって、画の技術が発展する反面で、作品から精神性がとりのぞかれ、浮世絵のような大衆的ばものに移行していくのはある意味、江戸時代の「徳川家による平和」からの、目に見えない抑圧が関係しているのだと思います。