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モダニストの好きな建築(ブルーノタウト「日本美の再発見」)

日本美の再発見 増補改訳版 (岩波新書)

 前回の記事で桂離宮を取り上げました。橋本治さんが嫌いだったという桂離宮の賛美が、どこにあったのかと想像すれば、ブルーノタウトの著作あたりでしょうか。未読でしたので、どのようなものだろうかと読みました。

 ドイツ人のブルーノタウトが日本を訪れたのは、1930ー40年にあたります。戦前のことですが、まだ戦争の影が忍び寄るまえのころです。「日本美の再発見」という本によれば、彼は、桂離宮だけではなくて、東北~新潟までの地方都市や白川郷といった地方を訪れています。彼の視点は率直な物言いにあふれています。当時に地方都市で隆盛をきわめていた和洋折衷の建築には、「いかもの」と断じて批判的ですし、建築の全体を統括するような存在がいない日本の建築作業が改善されない限り、このような「いかもの」建築がなくなることはないだろうと懐疑的です。日本家屋によくある、細い柱が太い梁をささえているような構造をどうも納得がいかないとも批判的です。
 彼にとっての日本建築の流れは、書中に添えられた概念図で示されていて、彼にとって好意的な日本建築の流れというのは、伊勢神宮白川郷桂離宮といった流れであって、それとは反対に、鎌倉時代~室町以降に宋の文化を取り入れながら発展していった武士たちの文化や、桃山文化とその集大成ともいえる東照宮のきらびやかさは、否定的です。どうも、彼にとって仏教と仏教に由来する寺社建築の流れは、日本文化にとっては異物と捉えらえている様です。
 あと、白川郷の建築を、平家の落武者たちが作った集落と捉え、伊勢神宮に始まる日本建築の流れを継承する視点や、平安~鎌倉の境目を日本の文化の切断ととらえ、平家とともに滅び去った述べる、のほほんとした平安時代から鎌倉時代への転換を、決してタウトのようには否定的なものとして思ってませんが、こういう見方もあるのですね。伊勢神宮は、同じ建物を20年ごとに立て替えることで、往事の建築様式をそのまま伝承しているわけで、それはものすごいなんだろうと思います。これら装飾の少ない直線的で簡素な様式が、伊勢神宮から白川郷桂離宮にも伝承されている。
 西欧の変化は、いつも非西洋との接触によってとげてきたと思います。タウトにとっては、日本文化のすべてが好ましいわけではなく、寺に代表される仏教文化は好みではない。タウトの経歴はよくは知りませんが、西欧のモダニストが日本文化の好悪をわける基準は、西欧のモダニズムにあるような装飾を廃した簡素さを好む価値観とも呼応している。のだかなと想像しました。