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私の談話(のようなもの)

 昨日は終戦の日いや敗戦の日でした。本当の終戦の日は降伏文書に調印をした9月2日とするべきと、人によっては言いますが、先祖の魂が家に戻ってくるお盆という風習の最中で、こうした日が毎年やってくることは、偶然なのか作為があるのかはわかりませんが、鎮魂の季節としてこれほどふさわしい日はないかもしれません。この国の総理大臣は一昨日「談話」を発表しましたが、私はそんなものに同意などしたくない。自身で談話めいたものを残したいと思ったのです。
 70年前の、かつてのこの国権力者は、国体思想をアジア中に広めようとしました。アジアでもっとも早く近代化を成し遂げた日本は優れた国である。だから、アジア唯一の文明国である日本が、遅れたアジアを教え諭すのはあたりまえで、周辺の国がそれに従うのは当然だ。という思い上がりから、住民が望んでもいなのに軍隊を派遣し、多くの住民を巻き添えにしました。さらに、アジアの住民たちに日本文化を強制的に教え、同化させようとしたのは、現地の人にとって屈辱的なことで、愚かで恥ずかしい行為です。まずもって、私たちの国が、かつてそんな愚かな行為に手を染めたことをお詫びします。
 さらに愚かなことに、かつての指導者たちは、この国の住民がすべて消え去っても、国体が残ればよいという、狂った考え方のために戦争をしかけ、たくさんの自国民を人間兵器にしたてあげ、多くの兵士の命を利用しました。東京裁判の裁きが公平かどうかは議論があっても、総体としてそんな指導者たちの行為は犯罪です。
 けれども、人間兵器にされたすべての人々が、本心まで兵器と化したわけではありません。それはその後にのこされた兵士たちの手記で明らかになっていて、犠牲となった人たちや異国で死んでいった兵士たちは、供養されなければなりません。そして愚かな権力者たちの犯罪的な行為は、永久に許してはいけません。 
 戦争に負けて、愚かな権力者たちはいなくなりました。誤った考え方であることを認め、近隣と共存しなければ国が滅びると思い知ったからこそ、米ソの対決が厳しかった冷戦時代も戦火を起こすことなく、この国が経済的に繁栄したのです。 
 けれど、最近の20年間は、かつての経済的な繁栄が衰えようとしています。戦後の日本が復興を協力したアジアの諸国が経済的に繁栄することは、日本とアジアの近隣とが対等な関係をむすぶチャンスで、本来は喜ばしいことなのです。けれど、国々や人と人の関係を支配と服従といった誤った考え方で誤解している人たちがいます。彼らは、国内経済の疲弊の影響による恵まれない日常を、愛国心と自尊心をいっしょくたにして、近隣国への優越感を誇示することで自尊心を埋め合わせようとしています。
 さらに、自分の政治的野心のために、それらを利用しようする政治家たちもいます。国や人同士の関係を、支配と服従という誤った考え方で理解しています。国民が国の政策に従うのはあたりまえで、(自分自身を除いて)国民はすべて国の手駒でなければならないという、卑怯で誤った考え方を持っています。 
 けれども、そのような考え方が誤っていて、そのような考え方こそが結局は国を滅ぼすのだと、多くの人がすでに気がついています。多くの海外の方が日本を訪れるようになっていて、近隣国の国や住民たちと友好的にやり取りしていかないと国の将来はないと実感しています。