「世界はこのように見えた」の歴史(橋本治「ひらがな日本美術史」番外)

 橋本治さんの「ひらがな日本美術史」全7巻を読み通しました。美術史を語りながらも、ここで描き出されたのは、図らずも日本精神史のようなものかもしれません。弥生、平安、鎌倉、江戸・・・とそれぞれの時代に現れた時代精神というよりは、庶民にとって「世界はこのように見えた」の歴史であったと思います。
 縄文時代と縄文文化が、実は後世になって発見されたことというのは重要で、橋本少年は、小さいころに火焔式という縄文土器の一種をみて、土器のふちに炎の造形がかたどられているのをみて「かっこいい」と感嘆し、弥生式土器をなんて地味なんだ。と思ったそうです。けれど、縄文人は、火焔式土器をどのようにし作ったのか?「かっこよく」作ろうぜ、と作為的つくったのでしょうか?
 そうではなくて、縄文人にとって、土器のまわりに炎のオブジェ(のようなもの)をとりつけるのは、いたってノーマルなことで、縄文人にはそのように見えたのです。もちろんその世界観を想像するのは、現代人にとって困難なことです。
 近代日本の美術家の中には、岡本太郎などが代表的だと思うのですが、作品のモチーフとして縄文文化を取り上げる作者がいます。これは、すなおに縄文文化への感嘆を表したものですが、やはり「近代美術」のひとつの意匠にしかすぎません。そして、縄文文化に感嘆する美術家と、生活の営みに必須のものとして、これを使用する縄文人の間には、長く果てしなく遠い距離を感じざるをえません。そして、そのなかには「誤解」も含まれる。
 このような誤解は、現代からみた歴史をさかのぼるなかに、当然生じるものです。そんな「誤解」をときほぐして、歴史上のそれぞれに生きる庶民が、当時「このように世界を見た」という積み重ねの歴史を、書いてみたくなったのは、この「ひらがな日本美術史」のシリーズを読み通して思ったこと です。