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自分の右手と左(日本語からの逃避)

 しばらくツイッターをやっていれば、見たくもない誹謗中傷や罵詈雑言 のツイートがタイムラインに紛れ込んでしまうことも年中。久しくガメ(@gamayauber01 )さんという方のアカウントをフォローしているのですが、彼に対して延々と誹謗中傷を続けているというアカウントの中身をのぞけば、この人の脳内空間はいったいどうなっているのか?と呆れるほど、いびつで醜い情熱に満ちているのが不思議で、このような醜い空間はおそらくは日本語SNS特有らしいです。この醜い世界から少し距離を置きたいなと思えば、日本語で書かないことも確かに選択の1つかもしれません。
 そのせいで、このごろは他言語に興味がおきました。しこたまいろいろな本を漁り出すのが自分のいつもの癖ですが、少し前なら古文に興味がありました。たとえば、博物館に展示されている古文書のうねうねと曲がりくねった文字を、解読したくてたまらなくなるし、NHKラジオの語学番組なんかも、好きで聞いています。また、突然のようにハングル文字の形や体系がどのようなものか興味が湧いて「ハングル練習帳」を探しては、書いてみたりしています。そこでふと、あることに気がつきました。 
 私は、もともと左利きで、箸を持つこともペンを持つことも、ボールを投げること、ほとんどは左手で行います。けれど、幼い頃に、文字は右手で書くものだと、右手で文字を書くように矯正されました。けれどもその矯正は、中途半端だったので、文字を書くのは右手でも、絵を描くことは、左手でペンを持ちます。自分でもなにを基準にして左右持ち替えているのかわからないのです。ハングル文字を書いているときに、実は左手で書いているということは、無意識に自分の手はハングル文字を図形として認識していたのですね。自分のことながら不思議なことで、こう想像してみました。
 自分の右手には、親から矯正されて書くようになった、すなわち外部から矯正された痕跡や、慣習からのかせが刻まれているのだと。反対に、自分が左手で絵を描いたり図を描いたりすることは、縛りから離れて、自分が比較的自由な気持ちでいる状態を表すのだな。などと考えました。 
 中国には、かつて纒足という風習があり、少女は無理矢理小さな靴を履かされて、足の正常な発育を妨げる。このような矯正する風習のことを、まるで自分が住む世界とかけはなれた、異国の風習と思っていましたが、これに似たようなことが、実は自分の右手に刻みこまれている。このことを発見して自分でも驚いたのでした。