山道を下りて(美濃路を歩く(その2))

 翌朝の宿は、布団からでるのが、おっくうになるような寒さでした。宿には宿帳が残されています。ぱらぱらとめくると、海外の方も多く訪れているようです。私も少し書きましたが、先人たちのようにはうまくかかけないですね。宿帳をめくると、勤めを終えたような60代の方が多く、街道を歩いて出会う人たちの層とぴたりと一致します。忙しい現役世代には歩いて旅をするような風狂なことは難しいのでしょう。効率とは異なる視点で地平を眺めるのは、どちらかといえば、現役世代にこそ必要な価値観に思うのですが・・・f:id:tochgin1029:20151223094557j:image
 さて、宿のはずれには細久手宿の地図が掲げられていました。地図によれば、通行量が1日550人であったとありました。日が上って暮れる12時間。夜間の交通量は無視すれば、1時間につき45ー46人が通行することになり、だいたい1~2分の間に1人通行することになります。最近の地方都市なら、これよりも人通りの少ない大通りなどいくらでもありますし、当時の幹線道路とはいえ、山道をこれだけの交通量が年中行き交っているわけです。これは想像しづらいなと思いました。f:id:tochgin1029:20151223094633j:image
 朝の山道は、気持ちがいいものです。人に出会わない山道を上り下りして、間には里山の集落の中を通ります。実はこのあたり、碓井峠から延々続いてきた中山道の山道が、いよいよ終わる地点でもあります。この先はちょっとした上り下りはあっても決して山道ではない。ここまできたという感慨と、旅の終わりが近づく寂しさが入り交じる地点です。
 山道を終えれば、道路を走る自動車の洗礼を受けます。この近辺の人たちの運転は、お世辞にも丁寧ではなく荒っぽい印象を受けます。なおさら、それまでの静かな山道と比べうんざりした気分になります。
f:id:tochgin1029:20151223094717j:image 山を降りた最初の宿である御嵩宿は、かつては活気のあった歴史のある町だったのが、すっかり寂れてしまったように見えます。駅前には蟹薬師とよばれる、寺という大きな寺がありますが、修復費用が集まらず苦労しているそうです。反対側のお店でコーヒーを飲みましたが、最初に出されたお茶も、茶菓子の大福もおいしかったのでした。この大福、「やまいもん大福」と言って、地元の高校生が考案したもののようです。
 御嵩を出た中山道は、まるまる人々が日常で使う生活道路です。道ばたには特筆するところもありません。途中の伏見宿のあたりには古墳が点在するようです。近畿から見れば、このあたり、木曽の山を控えたどんづまりに位置します。歴史の古い土地だというのもわかるような気がします。
f:id:tochgin1029:20151223094819j:image 伏見宿からの道のりは、街道歩きにとっては、もっとも過酷なエリアかもしれません。ほぼ幹線道路同然の道をひっきりなしに車が通る。ロードサイドのチェーン店が軒を連ねるわきを通ります。右手には山が見えてよい眺めなのですが、左手はありふれた殺風景なロードサイドの風景。静かな山道を楽しんだあとで、この行程は心理的につらいものです。この殺風景さは、太田橋を渡るまで延々と続いています。
f:id:tochgin1029:20151223094834j:image 太田橋を渡り、再び木曽川と出会います。国定公園に指定されている箇所のようですが、あたりはごくごくありふれた地方都市の河岸の風景でした。休日を過ごす観光目的でない地元のひとが訪れる場所のようです。f:id:tochgin1029:20151223094922j:image太田宿のあたりは、古い建物が比較的残っていますが、見学は次回にまわそうと思います。この先、木曽川の周りは風光明媚な景色に変わるみたいなのですが、今回の旅はここでおしまいです。