まだ成熟していない(橋本治「失われた近代を求めて」)

失われた近代を求めてII 自然主義と呼ばれたもの達 (失われた近代を求めて 2)


 すぐれた文章表現のことを、橋本治さんは「文章そのものが語り出す」と述べていました。成熟していない口語体は、文章と書き手の間に、自身の実存を込めなければ表現にならなかった。だから口語文が生まれたばかりの頃、作品で自分の事を語るような小説ばかりが主流になったということです。「失われた近代を求めて」のシリーズの2巻は、口語体の勃興期を取り上げています。田山花袋から国木田独歩島崎藤村に取り上げる作家が移行していきます。
 島崎藤村は、現代になって、もっとも読まれることの少なくなった文豪の一人ではないかと橋本さんは述べていて、私自身も、中山道を歩き藤村が生まれた馬籠の宿場を通ったあと、藤村を読んでみようと「夜明け前」を手にはしたのですが、読めずに断念しているのです。藤村の作品から引用されたところ、もんもんと悩む主人公の姿や、妊娠した姪から逃げるように逃げた主人公の狡さ加減など、藤村の懺悔録につきあうのは、あまり気のりがしないのです。
 二葉亭四迷は、牛の涎のようにだらだらと・・という表現で、自然主義文学を批判しました。島崎藤村の作品すべてがけっして「牛の涎・・」ではないのですが、内面を過剰に語りたくなる癖もあるのでしょう。橋本さんは「夜明け前」で、主人公が気狂になり死んでいく結末を、必然性がまるでないと批判します。この主人公、藤村の父親がモデルだったそうで、非常に厳格な父親だったそうです。藤村の父親に対する眼差しは複雑で、その眼差しが「夜明け前」の結末を、歴史小説として不自然な結末にさせているとのことです。
 国木田独歩の場合は、風景を見つめることで内面を発見しています。それまで、広葉樹の美を愛でる感性は、日本人のなかになかった。海外の小説を読んで知った感性なのです。武蔵野を散策の途中でたちよったお茶屋で、茶屋のかみさんに武蔵野のすばらしさを語っても、茶屋のかみさんにはその感性は理解できない。「ご一新」のかけ声で近代化が始まっても、人々の感性は瞬時に変わるものではない。口語体が成立しても、当時の文章の主流はまだ文語体だったのです。人々の内面は、まだ前近代を生きていました。
 藤村も独歩も、彼らなりの表現を身につける中で、おそらく自分自身の内面を発見したんだと思います。小説の中で主人公が、やたらに悩むのは、書き手である藤村や花袋自身が、作品を通して発見した自身の内面を、制御するというよりも暴走に振り回されているようにも取れます。この時代に口語体による文章表現は、まだ成熟していなかったということなのです。