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真っ黒い岐阜の街(東と西が交差する旅2)

 岐阜の市街地は実は案外広くて、駅のあるあたりから、鵜飼いで有名な長良川のあたりまでは、けっこう離れています。離れたところを最近まで路面電車が走っていましたが、いまではなくなってしまいました。残念なことだと思います。岐阜では、鵜飼い観光船に一度乗ったことがあります。鵜飼い観光自体は、あまり印象に残らなかったのですが、付近の古い町並みがとても印象深く、そこを再訪するのが楽しみでした。 
f:id:tochgin1029:20160229232424j:image 古い町並みが残るのは、鵜飼いの観光船乗り場の付近、川原町と呼ばれるエリアです。古い町並みだけなら関東にも点在するものですが、この岐阜の町並みでは、連なる建物のほとんどが、黒い柱、黒い壁で覆われていて、ともかく黒いのです。この「黒い」町並みは、似た光景をほかの町で見たことがなく、川原町からはずれても、この独特の黒い建物は、岐阜市内に点在しているオリジナルな光景なんですです。これには圧倒されました。 
f:id:tochgin1029:20160229232449j:image さらに駅に向かうと、広場のなかを、学生が列を作って並んでいます。これは「みんなの森」という、伊東豊雄さんの設計による複合施設で、図書館の開館まちの列でした。伊東さんの手がけた建物には、せんだいメディアテークに一度はいったことがあって、それは8階建てなのですがこちらは2階。建物の壁は格子柄になっています。なるほど、このあたりの町屋に見られる格子柄をモチーフに使っているのですね。あえて高層階にしないのは、古い町屋の並びと調和させるためなのですね。 
 さらに、ここから駅に向かうと、美川憲一の歌で有名な柳ヶ瀬という、夜の街が広がっています。岐阜という街は意外にバラエティに富んだ魅力のある街ですね。駅前には、織田信長の金の銅像が建っていますが、地元の人たちがアピールしたい町の魅力と、来訪する客がその町に魅力を感じる部分にはズレがあります。ここ岐阜においては、織田信長と岐阜の街のおもしろさとは、なんも関係がないように思いますね。 
 それと比較すると、高架駅となった岐阜駅が要塞のようにそびえているのは、あまりいただけない景色ですね。JR私鉄に限らず、都市の拠点駅は年々巨大化していますが、すべての駅が、そんなに自己主張しなくてもいいのではないかと思うのです。 
f:id:tochgin1029:20160229232626j:image 前ふりが、そうとう長くなってしまいましたが、加納宿から河渡宿までの行程も、まったいらな土地に、昨日と同じような町屋の列がつづきます。しばらくいけば、長良川を渡るのですが、橋の上からでも下を眺めると、川底が透けて見えるのですね。写真にはとれませんでしたが、ポツポツと魚影も見つけることができます。鵜飼い漁で採るのは鮎ですが、それが長良川のきれいな水に支えられているのを実感します。 
 ただし川を渡れば、住宅よりは事業用の倉庫やトラック置場が点在する殺風景な土地に、景色は一変します。河渡宿のあるのは、そんなあたりの一角で、このあたり非常に道に迷うところです。さんざん迷ったあげく、やっと河渡宿の案内を発見。 
f:id:tochgin1029:20160229232732j:image 河渡宿から美江寺までの光景は、ふたたび住宅のなかを通ります。このあたり、さほど特徴のない住宅街ですが、あたりには、庭がある敷地のゆったりとした家が増えてきてます。 
f:id:tochgin1029:20160229232716j:image 樽見鉄道の線路をくぐると、すぐに美江寺の宿につきます。ガイドによれば、この宿の規模は、旅籠も十軒ほど、本陣はあっても脇本陣はない小さなものですが、町のアイデンティティとして「宿場町」であることを、今日訪れた宿場のなかで、もっとも大切にしていたのは美江寺宿でした。神社のあたりで、道は左に折れます。近くに一軒のウナギ屋がありましたので入ります。我が家のある浦和でもウナギは名物ですが、このあたりでも名物のようで数軒のウナギ屋がありました。関東ではウナギはいったん蒸しますが関西では直に焼きます。ここではウナギは関西風の直焼きです。直焼きのウナギは初めて食べるのですが、身がとろっとした感じに仕上がるのですね。 
 美江寺を出てから赤坂までの道のりは、田園風景のなかを進みます。二日続けての行程は疲労もピークになるところです。しばらくたいらな土地を進んでいたのが、次第に山が近づいてきます。このあたりの山からは、石灰石がとれますが、採掘で削られた山肌が痛々しいところです。 
f:id:tochgin1029:20160229232755j:image 美濃赤坂の町は、この石灰石の採掘に支えられた町でもあります。資料館には宿場というよりは石灰石の採掘にまつわる写真ばかりが展示されていました。資料館のとなりでは、古い建物が公開されていましたので入ってみました。中では案内の女性の方と、尺八を吹いている男性の方が居ましたが、尺八で吹いて居たのは「荒城の月」となぜかポールモーリア。お世辞にも上手いとはいえない尺八の演奏を聴きながら、笑いをこらえながらの見学でした。 
 今回の道中はここまで。かつて日本の人口の中心点は岐阜県でした。関東からはるばる歩いた私にとって、このあたりの風景はすでに充分「西国」を感じさせるのですが、古代に奈良や京都から地方に下った人々にとってはこのあたりは「東国」なのですね。そして関ヶ原の合戦で大名たちは、東軍西軍に別れる。このあたりは、確かに東と西が入り交じる土地なのですね。さて、次回は、関ヶ原不破の関を越えて、本当に西国に入る旅になります。