シティポップの盛衰(ピチカートファイブの「闘い」について)

女性上位時代


 Youtubeで検索すれば、有名無名なさまざまな歌手の曲をなつかしく聴くことができます。一部分のフレーズだけを覚えていた聴いたことがある曲と偶然に出会うのはけっこう楽しいものです。私にとっては、70ー80年代に業界のある部分を占めていた「シティポップ」と呼ばれるジャンルの曲をだらだらと聴いてしまい、ついつい時間を無駄にしてしまいます。
 当時は、アイドルと演歌、ムード歌謡以外は、すべてニューミュージックと乱暴にまとめられていました。「シティポップ」というのは、ニューミュージックとくくられた中から、フォーク系の人たちをのぞいたものだったのかなと思います。演奏は耳障りがよくてセンスよく感じられる洋楽のAORや、ジャズフュージョンを意識した編曲が多かったと思います。デートの小道具としてのクルマがキーワードになっていた時代です。カーオーディオで聴かれるのを想定していたかのように、歌詞はドライブ中のデートや、都会での恋愛を歌ったものも多い。そういえば、80年代に青春をすごした、今の50代の年齢の人たちは、クルマ大好きですもんね。
 90年代には、こうした音楽はシティポップと呼ばれなくなりました。バブル経済を通過して、地方と都会とライフスタイルに違いがなくなってきたことも大きくて、シティポップの歌詞で歌われたような都会の生活は憧れでなくなったことも一因です。世知辛くなった90年~00年代に現れたのは、生活に余裕がなくなた人たちを励ましたり、内面の苦しみを切々と語るような歌詞です。今も現役で続けているベテランシンガーたちは、実はその変化にうまく対応できた人たちですよね。
 2001年ころにピチカートファイヴが解散し、宇多田ヒカルが登場したあたりで「シティポップ」とうジャンルは完全に滅んだのだと思います。ピチカートファイヴは、世知辛くなった世間に抵抗するかのように、最後まで華やかな都会の生活と恋愛を歌いつづけています。その闘いは、宇多田ヒカルの登場によって命脈がつきたように思います。最初に聴いた彼女の音楽は、外側こそカッコイイ洋楽のように聞こえても、歌われる歌詞は、孤独に沈む現代人の内面の苦しさを表しています。それはシティポップとは異なるジャンルの音楽です。
 小西康晴さんの作るピチカートファイブの音楽のあり方が、どこか江戸の職人を思わせるのに比べ、宇多田ヒカルさんの音楽のあり方は明治の「自然主義」日本文学を連想させます。それ以後、Jポップと呼ばれる音楽からは「風景」が消えてしまった。歌い手の想いと歌い手以外を分け隔てるものがなくなってしまった。「華やかな都会の生活と恋愛を歌う」ピチカートファイブの「闘い」は、当時はよくわからなかったけれど、今になって腑に落ちたように解った気がします。