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ゆたかな湖国(中山道を巡る(その3)

 琵琶湖をバックに控えた彦根というところは、意外に涼しいところのようです。テレビの天気予報に現れる彦根の最高気温も、他の近畿の町に比べて数度低い。空気感も岐阜とはまるで違います。近江鉄道に乗り、再び高宮駅へと向かいます。近江鉄道の放送テープのアクセントは、「たかみや」の「たか」の音にくるのですね。なるほど関西圏内にきたことを感じさせます。車内は老人のほか、部活の高校生ばかり。この中山道の旅を通して感じるのは、現役世代が「いったいどこにいるのだろう?」というくらい影の薄いことです。 f:id:tochgin1029:20160521223424j:image
 さて、本日のコース、高宮からの道中はひたすら平坦な道が続く一本道になります。川を渡る途中に「むちんばし」という橋があります。当時は橋には通行料があるのがあたりまえだったころ、彦根藩のはからいで「むちん」としたのだということです。橋の改修のさいに地面を掘ると3体の地蔵様が現れたとのこと。橋の脇に小さな祠があります。
f:id:tochgin1029:20160521223514j:image 川を渡ると松林が続きます。近江のあたりは、米の産地のようで、水田には水が張られ、植えられたばかりの苗が、遠くにはJAの巨大な米倉庫がそびえています。そういえば山道を走る中山道では今まで、道中に水田をみることがひさしくなかったことに気がつきました。墓や古戦場をわきに眺めながらの道中とちがい、平坦な道を水田を眺めながら進むのは、からっとして気持ちがいいものです。現在は、このあたりの地勢がどうなのかはわかりませんが、かつてはそうとうに豊かな土地であったのだろうと想像するのです。
f:id:tochgin1029:20160521223539j:image やがて、道を進み豊郷町に入ると、ヴォーリズ建築で有名な旧豊郷小が建っているので、見学します。最近ではこの建物はアニメの舞台になったらしく、その筋と思われる人たちが、つぎつぎにやってきます。私自身はアニメにはっまるで興味がないので、興味を感じるのは建物の内部です。かつてこの建物は、1999年ころに取り壊しの論議が起きました。当時長野県知事であった田中康夫さんが参戦して、全国ニュースとしても取り上げられていたのを思い出します。耐震工事もされたのでしょうが、内部はとてもしっかりしていて、木の床ではあるけれどギシギシともなんとも言わない。そして階段にはウサギの飾りが載せられている、現在の機能ひとすじの建物と比べるとゆとりを感じさせます。そして、建物の外も非常に広くて立派なもので、生徒の体験農園としても使われていたようです。このあたりの田園風景、小学校の佇まい。ヴォーリズ建築のすべてに豊かさとゆとりが感じられます。
 そして、忘れてはいけないのが、この豊かな建築を支えたのが、近江商人の財力であることです。この資金を出したのは、伊藤忠の専務だったひとで、故郷のためにと私財を投じて学校を建設します。それは小学校の展示物や、すぐ近くにある、伊藤忠兵衛記念館をみて感じたことです。この建物のかつての主、伊藤忠兵衛は、現在の総合商社「伊藤忠商事」や「丸紅」の創始者です。有能な近江商人であった彼が、明治維新による開国を機に、洋式の文物や実際に西欧を訪れて見聞を深めて、あらたな形の商売を始めていった。それが文明開化の世に受け入れられて、大企業へと発展していったのだと。
 そして、その事業を彼の妻が支えていたそうです。彼女は、住み込みの丁稚の教育とか、仕入れ量のコントロールとか一人でまかなっていたらしいそうです。丁稚たちは、彼女にとって息子のようなものだったと。かつて日本企業が従業員を、家族とみたてていた名残りのような話です。 近江商人の商売方法は、行きは近江の産品を売り歩きながら、帰りは、売り先で仕入れた物品を大阪といった大消費地で売りさばく、往復を無駄にしない効率の良い方法です。そんな効率の良い販売方法が事業を拡大させていったようです。
 そんな、近江商人の精神的なバックボーンには浄土宗があったそうです。確かに、このあたり通り過ぎる集落はどこも必ず、神社と浄土宗のお寺があります。神社は集落の外れに建っているのに比べ、浄土宗の寺は集落の中心に建っている。住民にとってどちらが親しみを感じるかといえば、見た目には浄土宗のお寺です。そんなそれぞれの集落の佇まいは、あまり華美さがなく慎ましく見えるのです。なにか、浄土宗と関係があるのでしょう。
f:id:tochgin1029:20160521223638j:image 豊郷から愛知川宿そして五箇荘にすすみます。一本道となって、さほど旧い建物がもう残っていない中山道は、すでにもう宿場とふつうの集落の境目ははっきりしなくなっています。それよりも、このあたりにところどころ残った洋式の建物のほうに興味がいきます。町屋よりもそういった洋式の建物が気になります。五箇荘から武佐までも淡々としたみちのりですが、ほんとうにこのあたりの中山道は、うそのように平坦です。そして、田圃があおあおと茂り、山には豊かな緑が。
f:id:tochgin1029:20160521223705j:image 織田信長が、岐阜を離れ京都の手前、湖国安土城を作った理由は、いろいろと理屈はたつでしょうが、争いが耐えない尾張美濃を越えて近江の国にはいったとき、平坦な土地と青々とした田園をみて、この土地が豊かで明るいことを、ぱっと見て魅力的に感じたのではないか?そんなことが一番の理由に思えてくるのです。そういえば、今回の行程、琵琶湖を直接に眺めることはなかったのですが、それでもその存在感は湖国にとって決定的で、豊かさや恵みをこの土地にもたらしているのですね。
f:id:tochgin1029:20160521223720j:imageさて、今回の行程は武佐駅まで、次の行程では、草津東海道と合流して、いよいよ京都に到着の予定です。