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選挙のあと変だなあと思うこと

 参議院選挙が終わりました。三分のニを与党が占めたといわれるけれど、実態はやっと数を合わせたに過ぎなくて、与党が圧倒的に勝利したとも言いがたいように思うのですが、報道の伝えかたはそうではないようです。憲法といっても、100を越える条文のなかから、いったいどこを変えるのか?ということは後回しにされています。
 2~3日たって、結果からはいろいろ興味深いことがわかります。たとえば北海道や東北、沖縄では野党が勝っています。反対に西日本では与党がほとんど勝っています。与野党の勢力を県別に赤青に色分けした地図は、まるで古代政権の勢力図のようですね。これ、たまたまの偶然ではなくて、類をみないほど権力欲を隠さない現政権が押し付ける、負担と権益の世界観を、忠実に地図に反映するとこうなるのでは?と思います。古代政権の勢力図のような日本地図には、そのような意味が込められているように思うのです。
 それぞれのメディアや報道番組で流される選挙まとめでも、3分の2という結果を元に、野党の共闘は意味をなさなかったとか政策よりも数合わせだという批判的な意見が流れています。じっさいに、いままでの選挙で政策論争がされた記憶は全くないので、それは現実には意味のない意見のように思います。前2回の選挙情勢を考えれば、むしろ野党は健闘しているように見えるのですが、総じてメディアの論調が与党に甘く、野党に厳しいのは公平でないし、報道当事者の方たちが無自覚なのは問題でしょう。
 同じように、選挙後の総括を著名な評論家から聞いていても、どこかずれているように思います。彼が普段接している政治家や著名人たちの日常や生活感と、毎朝電車に揺られて職場に通勤しているような庶民の生活とはかけ離れているでしょう。報道機関も、足を使って取材するよりも、SNSで流れている大きな声を拾って、まとめて記事にする。自分たちでこしらえた現況のストーリに縛られて、現実に起きたストーリーとは異なる変化を、まったく拾うことができていないように思います。
 戦前に、近衛首相のもと新体制運動というのがありました。欧米への留学経験があり、皇族の血も持っているインテリな首相のもとでたくさん知識人も名前をつらねましたが、彼らはやがて戦争が始まれば、自ら妥協して協力していった。もう負けたのだから、野党は改憲論争から逃げるな、という論調に感じる胡散臭さは、体制に妥協してやがて自ら進んで戦争に協力していった知識人たちの姿に重なるからなのです。

それに比べれば、たとえば最後の元老西園寺公望は、総理を推挙する立場から、最後まで好戦的な政権が生まれることに抵抗しています。人としてどちらが誠実かといえば、もちろん後者の方です。

 そして現在、政界がまるで政策論争をする土俵になどなっていないのに「政策論争を」と言う評論家のナイーブさに比べれば、ハフィントンポストにのっていた、シールズの奥田さんの意見は意外にも現実的なものでした。自民党の人情に訴える選挙活動を、彼は興味深く眺めています。理詰めも大切だけれども、政治はそれだけで動くものではないと彼は理解しています。選挙のたびに、関心がない庶民を嘆き、政策論争がないと嘆く評論家筋よりも誠実だと思います。