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今週起きたあの事件と世間の反応が私を憂鬱にさせる

 今週になってからのラジオニュースは、もっぱら相模原の19人の殺人事件についての解説ばかりです。事件の起きた障がい者施設でかつて働いていた犯人は、当初は普通に勤務していたそうですが、いつのころからか、突然殺人や差別言動を公言するようになったらしく、半ば強制で入院し施設もやめさせられた。それでも昨日のような事件を起こしてしまったとのことです。
 ラジオでは、解説者は「ナチスの優生思想」を持ち出して、犯人の心理状態を解説していました。別の識者は、警察の体制、行政の対応の不手際を述べていました。けれども、初動対応に不手際はなくて、犯人を強制で入院させたのも、危険を察知して施設を辞めさせたのも、そんなに粗相のあるような対応ではないと思うのです。識者の言うような「行政の不手際」というのも、この種の事件を伝えるニュースの、単なる常套句にしか感じません。それに「ナチスの優生思想」と言ったところで庶民にとっては他所の国のこと。その言葉に危機感は感じません。総じてラジオ報道についての論調には、のんきだなという感想しか起きませんでした。
 ツイッターでは、それとは異なる世界が広がっています。たとえば犯人が持っていたアカウントが、いわゆる「ネトウヨ」という、自分と出自の異なる人を誹謗中傷し、排外思想をまきちらすようなアカウントばかりをフォローしていたという話題も流れています。では、SNSが犯罪の原因になのかという短絡もしてしまいがちですが、他人を誹謗中傷することと、実力で排除する行為の間にはとても大きな段差があるはずで、それを飛び越える心理というのはいったいどうしたきっかけがあったのか?という疑問も起きます。犯人の心中を理解するなんてことはまず不可能です。

ただし、日常に不満を感じながら生活する人物が排外思想にふれたからといって行動に移すわけがない。とも言い切れません。それは他人にはわからないことです。ある人物が、日常に不満を持ったとしても、事件を起こさせないようにすることが、世間でせいぜいできる対応なんだろうと思います。だとすれば、やっぱりSNS上での罵倒表現はやめさせるべきでしょう。同じ空の下でいろんな人が生活している。憎悪はその共生の空間を破壊するだけで、なにも生み出さない。
 案の定、ネットの世界では、複雑な世の中の問題を手っとり早く理解したい人あるいは考えたくない人たちに向け「朝鮮人」がどうこう「在日」が起こしたとか、煽りと憎悪の画像が流れています。タカ派とされる政治家の中には、犯罪予備群に対してGPSを付けろとか、あるいは措置入院の制度をいじろうとか。またもや本質とはかけ離れた話題が始まりました。例によって、それに大手の報道各社も加担を始めています。