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中世を感じる道(鎌倉切り通しの道を巡る)

 かつての東京湾沿いが、どのような姿だったかよくわかるのが、京急線のあたり横浜から三浦半島にかけてのあたりです。車窓を眺めれば、ところどころに浮島のような丘が点在して、その間に白っぽい住宅が連なっています。白っぽい住宅のあたりを、かつての東京湾の入り江だったところと想像すれば、たぶん松島のような景勝地だったことでしょう。それは金沢八景という駅名にも残っています。隣は金沢文庫という駅名。鎌倉幕府の有力者である金沢氏が、集めた文書を保管した施設に由来します。このあたり、かつて六浦と呼ばれ、鎌倉幕府の時代に重要な港として栄えた場所です。六浦から鎌倉にかけての道は、朝比奈切り通しと呼ばれ、いまもその道が残っています。そんな道を歩いてみました。
f:id:tochgin1029:20160807114653j:image まず向かったのは金沢文庫です。金沢文庫称名寺と呼ばれる寺の広い敷地の一角にあります。称名寺の一部が金沢文庫なのだと形容するのが正しいようです。ここから金沢八景の駅前にいたるまで寺社が多く残ります。右は陸地ですが、左はかつて干拓地だったと思われる住宅地。中世にはここは海を左に長めながらの道中だったのでしょう。f:id:tochgin1029:20160807114738j:image

途中には瀬戸橋という橋があります。この場所は、当時の入り江の中に、半島のようになって飛び出していて、いち早く対岸と橋が架けられたところです。ここから切り通しまでの間は、人為的に削られた崖が点在します。ところどころ崖の横には穴があいていて、奥には地蔵など鎮座していそうな光景です。そして道路沿いにはあいかわらず寺社が多い。しばらくいくと、住宅地を離れ、朝比奈切り通しの山道が現れます。
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 道を通すため、削った崖の表面はごつごつとしていて、現代に重機で掘られたものとまったく違います。どちらかといえば、ごつごつとした岩が道の表面に転がっているのでなく、削った崖の石と一体になったかのような、つるつるした路面が続いているのです。途中の崖にはところどころ横穴があいていて、奥には地蔵でも座っているような趣です。
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切り通しを抜ければ、鎌倉市街のはずれにでます。鎌倉といえば、いまでは、おしゃれな観光地という町の印象ですが、住宅地の表層をはぎ取ると、地底からいろんな地霊や怨霊ともども中世の町があらわれてきそうなくらい、中世の残像が色濃く残っている町のように感じます。宗教的なものが世のありようや人々のありようを規定していたのが中世という時代の特徴ですが、低い丘と谷、削られた白い崖と横穴が織りなす光景が、建物だけでなく宗教的な印象を想起させる。それがほんとうの鎌倉の原風景なのだと思います。
 和賀江島が鎌倉の表口なら、六浦は勝手口だったと想像されています。六浦という場所は、房総半島や東京湾を経由して内海のような川を北上すれば、さらに北関東へと足を進めることができる。ここまでの道中は2時間くらいですから、鎌倉の当時は、そうとうに栄えた道だったのだと思います。陸上交通を前提で考えると、ここが栄えたことが不思議に思うのですが、干拓も埋め立てもない中世の水辺はいまよりももっと広かったはずで、水上交通や海上交通もいまより一般的だったはず。
 目からうろこが落ちるような道歩きは、なかなかおもしろいですね。ほかにも鎌倉には朝比奈のような切り通しの道があります。有名観光地を巡るだけではわからない、鎌倉の町の実相を感じることができるので、このあとも切り通し巡りは続けようと思っています。