川の流れのような道(中山道を巡る3)

f:id:tochgin1029:20160903171528j:image 宿のご主人は、私が街道歩きをしていることがわかると、いろいろな話をしてくれました。とりわけ大津祭の話になると熱く語っていたのが印象的でした。山車の車輪を修理するのは、非常にお金がかかるということ、高齢化で自治会に14件しかないので、自治会費が高額になるとか。重要文化財に指定されれば役所から補助がでるらしく、やりくりは楽にはなるのだが、その分だけ監査が厳しくなるらしい、自由さはなくなると語っていました。大津に落ち着くまでいろいろい苦労もしたとかいう話は、実に戦前までさかのぼりますので、一見若くみえるご主人は、とうに70を越えているのですね。
 さて、大津の宿の近くにある三井寺に立ち寄りました。堂の中には仏像が納められています。江戸、室町、鎌倉、平安と、やっぱりそれぞれ時代ならではの特徴が見えます。平安時代の仏像はどこかエキゾチックな風貌です。それが、鎌倉時代になるとリアリズムが生まれてきます。そのリアリズムは、室町時代では劇画のようなデフォルメが入ってくる。そして、江戸時代では形式的になる。デフォルメがリアリズムを飲み込むのですね。
f:id:tochgin1029:20160903172021j:image道に戻り、大津から京都までの道に入ります。行程の最初は、となりに京阪電車を見ながらの行程です。JRが京津の間を長いトンネルで一直線に越えるのにくらべ、京阪電車はといえば、うねうねとした道路と一体になって登っていきます。たぶん相当な急勾配でしょう。
f:id:tochgin1029:20160903172035j:imageその途中に蝉丸神社があります。百人一首でおなじみの、蝉丸にちなんだ神社です。蝉丸は天皇の皇子であるにも関わらず、盲目だということで帝になる道は絶たれ僧形にされ、捨てられたも同じような状態で、この地にわびしく暮らしていたとのことです。いまでも、この神社の付近はわびしい雰囲気が漂っていますが、不思議とそこには怨恨の匂いは感じられません。わびしい場所で、蝉丸が吟じる唄はまるでブルースのようだったのでしょう。だからこそ呪いや祟りにはならない。NHKの紅白歌合戦で「うたの力」というキャッチフレーズが掲げられたことがありますが、いやいや本当の「うたの力」とはこういう事なんだろうと思うのです。なお、蝉丸は日本の芸能事の祖とされているとのこと。
f:id:tochgin1029:20160903172201j:image山を越えれば山科の街に入ります。大津と山科の山道には、かつて石がしかれていて、自然なのか人為的なのか?車輪が踏みつける場所が二本の溝状になっているさまを車石と呼んでいたそうです。途中の寺では模型が置かれています。そして、京都~大津の間は、年間15000台もの牛舎が通行していたそうです。大津からは琵琶湖の水運への積み替えもあったこともあり、たぶん相当に交通量が多かったのだろうと思います。いまだって隣を通る国道の交通量はものすごい。とうに時代が変わっても、道の重要性が全く変わっていないことも気づきます。
f:id:tochgin1029:20160903172225j:image 山科でいったん山を降りた道は、街をでて再びの登りに入ります。このへんの国道を、かつて中学生の修学旅行で訪れたときに、バスで通ったことを覚えています。その時、隣を走っていた京阪電車は、いつのまに地下鉄に変わっていて、なんのへんてつもないバイパス道路の風情に変わっています。九条山を越えるあたりは旧道に入りますが、家は新しいものであっても、集落の屋根の連なりの様子は、まるで広重が描いた街道風情のようです。山をおり蹴上までいけば京都の街に入ります。たくさんの観光客と遭遇します。東京ほどではなくても、最近は京都の人の多さも相当のものです。
f:id:tochgin1029:20160903172403j:image三条大橋に着きました。これまで通った道を思い出して、感慨にふけるのかといえばそうでもなくて、意外にも淡々とした心地なのですが、これから京都観光をするという気もなく、ずっと鴨川の流れを見ていました。鴨川というのはぼーと眺めるのにちょうどよいサイズの川で、右へ川が流れているのを見ながら想います。地を這って身体を使って歩いた東京と京都の行程は、たしかに自分の世界観を変えたように思います。車や新幹線の窓から眺めた景色が世間のすべてではないこと。コンピュータの画面から眺める景色が世間のすべてでないこと。地を這いながら、年も格好も性別も違ういろんな人たちが、同じ空の下でそれぞれ暮らしていること。あたりまえですが、そんな世間の広さを体感した旅だったのです。