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ヘイトするくらいならみんなで踊ろう(サムルノリの音楽について)

 今年は、高麗郡が創られてから1300年の記念の年なのだそうです。700年代、平城京の都のころに、国が滅んだ高句麗から1700人もの人たちがこの地にやってきたとされています。その記念の年に、高麗神社ではサムルノリという韓国の音楽家たちのグループが、コンサートを開くとのこと。観に行ってきました。
 彼らは30年前にも、同じように高麗神社でコンサートを行ったそうで、彼らの音楽に初めて触れた著名人たちにも衝撃を与えたとのことです。サムルノリのリーダーである金徳洙さんは、その当時に近藤等則さんのIMAバンドのアルバムに、ゲスト参加していたのを覚えています。
 で、私にとっては、サムルノリの音楽は、もともとワールドミュージックのひとつのような感覚で捉えていたのですが、実際に訪れた会場はいわゆる在日と呼ばれる方々が多いのが印象に残りました。そして、開場を待つ人々の列の中には、あちらこちらで旧知の人々を見つけ、旧交をあたためる人々の姿がたくさん見られました。隣席のおじさんからは、半島から日本にやってきたてんまつ話などが聞こえてきます。彼らにとって、サムルノリは自分のアイデンティティとふるさとの文化を繋ぐひとつの糸のような存在なんだと思いました。
 実際に触れたサムルノリの音楽は、半島の土地に根付いた音楽が根底にありました。彼らの太鼓と鐘のアンサンブルは、たとえば和太鼓と比べると、よりリズミカルに感じます。そしてなにより驚くのが、どう見ても楽な演奏には見えない全力での演奏を、延々と休むことなく叩きつづける、その体力にびっくりします。もの凄いものだと思います。そして観客席から見ると、金徳洙さんの腕が、左右に早く動いて千手観音のよう。というのは言い過ぎでしょうか・・・2曲目は、鐘が加わります。大きな鐘はベースとタイムキーパーのような役割を果たしていて、その上を太鼓がそれぞれ自由に飛び跳ねるように踊っていて、全体は非常に複雑なリズムを表しています。この曲が一番長かったでしょうか。休憩をはさんでの3曲目は、リボンのついた帽子を回しながら、立っての演奏になります。まるで、この演目にあわせたかのように真っ暗やみになった会場の中を、ひらひらと帽子のリボンが舞っていて、とても綺麗に見えます。もちろん彼らの演奏は、踊りながらだといえ、ぞんざいになることはなく、座ったのと同じクオリティを保っています。いや、ほんとうにすばらしい!
 アンコールでは、彼らはステージからおりて演奏を始めました。彼らをとりかこむように観客が集まって踊り出します。彼らの演奏は、もともとは祝祭の音楽。みんなで踊る姿こそが、本来の姿なんだとも改めて思いました。もちろん私も一緒に踊りにならない踊りをしたのです。
 現在のコンサートは、舞台や構成の都合から、段取りもアンコールもあらかじめ決められ、その時々の盛り上がりでからハプニングも起きずらいのですが、この日このコンサートで起きた、盛り上がりはごく自然なものでした。
 そんな楽しんだ会場を後にして、帰りの電車でツイッターのタイムラインを眺めれば、この日も秋葉原では、拝外主義をスピーチするいわゆるヘイトデモが行われたそうで非常に残念なことです。金徳洙さんは、コンサートの始まりに「みなさまの幸せを祈るために演奏する」と言って演奏を始めました。デモというものも、ひとつの祝祭と捉えるなら、それは、みんなが幸せに暮らせるようにするためのお祭りでなくてはなりません。誰かを排除するための祭りなど起こしてほしくない。サムルノリのアンコールの祝祭を体験して「へイトするくらいなら、みんなで踊ろうぜ!」なんてことが頭をよぎるのです。