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タレント政治あるいは政治タレントたち

 目立ちたいがための強い言葉は、たんに相手を傷つけるだけでなく、自分自身が言葉の虜となり自分を蝕むのだと、長谷川豊さんのブログ騒ぎを、前々回の記事で取り上げました。その後、長谷川さんに対する謝罪署名を集めた女性が、実際に長谷川さんに会ったと、ハフィントンポストに記事が掲載されていました。

「長谷川豊さんになぜ強く反論しなかったのか」対談した腎臓病の女性患者が疑問の声に答える | Huffington Post
 このような面談では、両者が罵り合うばかりで、なんの解決にならないことも多いのですが、その女性は非常に聡明でした。「この人とはそもそも議論ができない」と判断し、長谷川さんの話を聞きながら、彼の人となりを観察していました。
 彼女によれば、少し会話した時点で、長谷川さんは私と議論をしたいのではなく、ただただ自分の意見表明をしたい。という態度でこの場にやってきたのだと見ぬいています。たとえば、彼女が話している途中であっても、言葉を遮って自説を通そうとする。ジャーナリストを自称する長谷川さんですが、人の話を聞かない人が、そもそもジャーナリストを名乗るのも変なことだと思います。そうではなく、やっぱりテレビタレントなのでしょう。

 テレビやラジオの番組には、数限りないコメンテーターたちが出演しています。政治も芸能ネタも同じようにコメントする仕事ゆえ、評論家やジャーナリストなどタレントと名乗らなくとも、本質は悪い意味で「テレビタレント」と形容したいひとがたくさんいます。長谷川さんだけではない。
 悪い意味での「テレビタレント」とは、だいたい以下のような条件でしょう。
・対話は必要ない。
・話の真偽には頓着しない。
・自分の言いたいことだけを話す。
・その場で自分が目立つことを優先する。
ひな壇をしつらえた、テレビのバラエティー番組や朝まで生テレビ。一見では彼らは会話をしているかのように見えますが、そこには出演者の自己アピールだけがある。だいたい、朝まで生テレビの議論が、のちに政治を動かしたり政策を動かした事例があったでしょうか?私の知る限りありません。
 タレントが政治家になるケースは、ほんとうに多い。特に大阪では、横山ノックさんも西川きよしさんといった芸人が議員になっています。橋下さんも、本質は政治家というよりもタレントです。有権者の声をすくい上げ、市民の代表者(議員たち)と話し合い、よりよい政策をおこなうというよりは、自分がどれだけ目立つか。政治の場をすべて自己アピールの場に変えてしまう。政治を借りたタレント活動というものでしょう。民主主義とは異なる価値観です。
 東京都でも、小池知事のタレント政治が始まりました。連日のように報道される豊洲市場やオリンピック会場の話題は、よくよく聞いてみると、さして中身がある内容でないのがわかります。先日は小池さんの「政治塾」に、3000人もの応募があったとのこと。なかにはエドはるみさんのようなタレントも含まれています。政治塾ではどんなことを教えるのでしょう。自己アピールの方法だけを教えるのだろうか?と勘ぐりたくもなります。

 事実、小池さんが新人議員のときのインタビュー記事を雑誌「SPA」で読んだことがあります。その価値観は自己実現のために政治をやる。という価値観でした。自己実現であるならなにも政治家を選ぶ必要はありません。そのころと今も、小池さんが政治家をやるスタンスは変わっていないし、そういうスタンスで政治をする彼女を、私はけっして支持はしないでしょう。
 いまや、テレビで報道されない選挙の投票率は、おおむね20%。都市部や都市圏ほど低くなります。政治というものがタレント活動のように理解され、報道されるだけなら、低い投票率は、今後もけっして向上することはないでしょう。