だんだん寒くなる道(甲州街道を歩く7)

 昨年の秋から始めた甲州街道歩きですが、小仏の峠をこえて山梨県に入り、野田尻宿に到達していました。ひな壇のような谷間の集落をぬう相模湖からの道中は、上野原からは段丘上に広がる集落ののぼりながら通る道に変わりました。それは、マチュピチュにでも行ったかのように体感される行程でした。今回は、山上の野田尻宿から大月まで。さきの笹子峠越えを考えれば、もっと先の宿までを目指したい行程です。前回の終点だった四方津駅は、高尾からはたかだか数駅しか離れていないのですが、まったくの谷間の小駅といった風情です。そこから野田尻まで行くバスは一日2本しか走っていません。f:id:tochgin1029:20170118123857j:image
 バスまですこし時間があったので「コモアしおつ」というニュータウンを覗いてみました。この「コモアしおつ」というニュータウンの街並みは、まったく四方津駅から見えません。なぜならこの街は、四方津駅から百メートルくらい?を登った丘の上にあって、そこに行くためには、斜面をのびるエレベーターやエスカレーターを登らないとたどり着けません。ただし、朝の時間にエスカレーターから人々が駅に足早に向かう光景、そして人の姿は途切れません。寂れた郊外の住宅地といったイメージで行くと「コモアしおつ」は、それとは少し違うようでした。
 さて、バス停にたどりつくと、ハイカーらしき人々が3組バスを待っていました。案内板に示された山は、どれもわたしには未知の山ですが、さすが都内から近いだけあって、ハイカーが途切れないのですね。
f:id:tochgin1029:20170118124006j:image 年末のとても暖かい日にたどり着いた野田尻の宿場は、それよりも少々寒いくらい。前回の終わりにおとずれた西光寺にあらためてお参りします。山間いの小集落にありながら、境内がきれいに整えられていて気持ちの良い寺です。この日、天気予報では、とても寒いはずなのですが、このあたり陽があたり非常に暖かく、歩いているうちに汗がでてきます。次の犬目宿までの道中は、舗装と山道が交互します。かつてここに拠点をかまえていた一族の墓や、2本の木に小さな社が挟まれて建っていますが、どれもよく整えられて、あまり廃墟をみかけないのも、歩いていてほんとうに気持ちがいい。明るい山上の道は、とてもきもちがいいです。
f:id:tochgin1029:20170118124048j:image 犬目宿につくと、ここには犬目兵助という人物の記念碑が現れました。犬目兵助は、かつて甲州で起きた一揆のリーダーの人だそうです。見つかれば、首謀者として死刑になるところを、彼は逃げきれたらしく、戻ったこの地で一生を終えることができたそうです。この宿の終わりには寺があって、葛飾北斎が描いた富士ひとつは、ここから描いたそうですが、残念ながら今朝は富士は雲に隠れていました。また、寺の近くの斜面には、男女のシンボルをかたどった御神体?が小さな社に祭られています。途中の君恋という場所には、とてもきれいに残った一里塚がありました。
f:id:tochgin1029:20170118124117j:image 暖かかったこれまでの道中は、犬目宿あたりから、一週間まえの雪が道脇に残る風景に変わり、大月市域に入るころには、あたりは日の当たらない曇り空になりました。犬目宿に行くバスは、上野原~四方津駅から来るのですが、犬目宿を超えると、バスの起点は大月駅に変わっています。ほんのひと山を越えただけで、生活圏が変わってくるのですね。このバス停にやって来るのはなんと一日1本です。バス停の路線図をしげしげと眺めていれば、日影なんていう名前のバス停もあります。なるほど、V字になった斜面の両面に集落があり、その一方が日差しのよくあたる日向の集落ならば、もう一方の反対斜面にある集落は、たしかに日があまり当たらないこともあうでしょう。日向とか日影とかいう地名には、そんな意味があるのですね。
 JRの駅もあるので、山を下りた鳥沢の集落は、さぞ大きな集落かと想像していたのですが、あまり活気がありませんでした。合流した国道の甲州街道は、隣を走るダンプカーに気をつけなあらの歩きで、あまり面白みのない道です。f:id:tochgin1029:20170118124215j:image遠く川の反対側を見ると、朝にみた「コモアしおつ」のように、丘の上にニュータウンらしき住宅街が広がっているのがぽつぽつと見えます。高度経済成長からバブル経済が終わるころまでは、都市化は進み、住宅の価格もどんどん高騰してくるばかり、都心から放射状に延びる鉄道路線沿いの住宅開発は、年々より遠くを目指すようになっています。これら山上のニュータウンもたぶんこのころに作られたものでしょうが、もう時代は変わっていて、駅前に高層マンションが立ち並ぶいまでは、遠距離からの通勤はただただ時間の無駄と考えられるように変わってきます。ましてや、このように通勤時間もかかり、駅からの道も不便なこのような山上のニュータウンは、もうこれから作られることはないだろうと思います。
f:id:tochgin1029:20170118124315j:image 今回の行程でゆいいつ観光地らしい観光地なのは猿橋です。ぽつぽつと国道沿いを歩いた先にとつぜん現れます。ですが、寒い土曜日の朝にだれひとり観光客はいませんでした。眺めをひとり占めした心地で風景をながめると、猿橋の手前で、普通の河原から岩場へ変化しています。わたしは写真はへたくそですが、ここではカメラのフレームのなかに橋や岩のおさまりがとてもよい。カメラのへたくそな人にお勧めしたい?スポットですね。
f:id:tochgin1029:20170118124341j:image 猿橋から大月の市街地まで、それほどの距離はありません。中央線の要所である駅のイメージから、さも大きな街のように想像されると思いますが、こじんまりしていて、駅前のひとどおりも少ない商店も少ないじつに静かな町です。まちなかの高校ちかくにあるラーメン屋に入ったところ、地元のひとばかり。店内のメニューは、どれもこんな値段でいいのか?というくらいリーズナブルな価格なのですが、出てきたのはきちんとしたラーメンで、これにはとても感心しました。日が暮れるにはまだ時間もあるので、この先もうすこし先に進みます。
f:id:tochgin1029:20170118124422j:image ひとつさきの下真木宿には、本陣の建物が残されていると、日野宿の資料館で教えてもらっていたので、見学したかったのですが、行ってみると見学はしばらく休んでいるそうで残念です。このさきも、あたりは国道沿いの単調なバイパス道がつづきます。やはり峠をま近にしているためか、道脇の雪の量は、先を歩くにつれて多くなってきました。雪は、ときどき凍結していたりするので歩きづらくなっています。そして、下初狩宿の手前まできたところで、ついに雪道をあるくはめになりました。10CMくらい先週の雪が溶けずに残って積もっています。そして、2人から3人分くらいの足跡が残っています。さいわい足跡をたどれば、道に迷うこともなさそうですが、この雪道のあたりは採石場になっていて、とても殺風景な場所です。
f:id:tochgin1029:20170118124438j:image 下初狩宿まで歩き、今日の行程はここまでです。宿のあたりはまとまった集落ですが、JRの初狩駅は無人駅らしく、コンビニをのぞいてあたりに人けもありません。朝の野田尻宿の暖かさから比べると寒くなりました。今日はあまり人けのないところばかりを歩いていたせいか、ひとの気配が恋しくなります。次回はいよいよ、笹子峠を越える道に入ります。このさきの道はもっと雪深くなるでしょう。雪が解けるまで待つしかないかなと思っています。