そういえば選挙だった

都内だと、すでに都議会の選挙が始まっています。自営の旧い工場や商店とかが立ち並んでいる職場の近くにはポスターが掲げられています。いつもであれば、掲げられているポスターのだいたいは、自民党一択なのですが、今回は少し様子が違っていて、貼られているポスターは2種類、自民党のポスターと都知事が立ち上げた都民ファーストの会のポスターを同時に掲げている店や工場が多いようです。自営業の家族だと義理立てで、都民ファーストの会自民党に分担して投票することも多いのでしょうか。
 都民ファーストの会では、ポスターには「ふるい都議会をあたらしく!」というキャッチフレーズが掲げられています。選挙ポスターの言葉としてさして目新しいものではないけれど、報道で流される豊洲市場の移転とか都議会自民党との対立といった、共通のコンテキストを知らなければ、その意味は、門外漢にはわからないだろうな?と思いました。読みかたによっては「古くなった都議会の建物を建て替えたいのか?」という意味にも受け取れますね。
 一方で自民党のコピーは、首相の顔とともに「進める責任。東京を前へ。」というコピー。これも、連日に報道される豊洲移転の問題を知らなければ、いったいなんの意味かわからない。東京を前へ、という文言は、門外漢にはウオーターフロンとの開発を進めよう!という公約にも読める。共通のコンテキストがなければ理解できない言語です。
5W1Hとかホウレンソウといったビジネスの情報伝達の視点では、どちらの文章もまるで落第です。戦後日本の広告コピーの世界は、そういえば、こうした共通するコンテキストを前提とした言語であって、そのコンテキストを共有しない人々にとってはまるで理解の及ばない言語です。
現代では、日本語の使われ方は、利害の調整、あるいは立場を規定する言葉としてしか使われていなくて、事実を伝達する言葉の機能が失われています。広告業界だと、その共通のコンテキストをコントロールしようとする技術だけが発達。
覚めた目線でその世界を眺めると、タレント政治家の登場のあと、その浅ましさばかりが現実政治の世界に入り込んでいるように思ういます。困るのはそうした刷り込みは、次第に個人の心身に侵食していくことです。