標高900mの道(甲州街道を歩く11)

f:id:tochgin1029:20170914234023j:image 甲州街道を歩くのも山梨県を過ぎて長野県に到達しました。甲州街道の歩きは、進めば進むほどに標高がだらだらと上がっていくのが特徴です。出発地の日本橋はほぼ海の近くで標高0mなら、ゴールの下諏訪の標高が700m台です。中山道和田峠のような極端な難所はなくても、上る道が延々と続くのは、中山道とは異なった甲州街道歩きのキツさです。
 前回に歩いた蔦木宿は、信濃境駅の真下にあります。ほぼ至近距離の信濃境駅と蔦木宿までは、標高差が200mもあります、前回に難儀した登り道を逆に下ります。このあたり縄文遺跡が多く発掘される地域らしく、発掘された土器や土偶の写真が駅にも掲げられています。信濃境駅からは田野倉遺跡という縄文遺跡が近くにあって、途中に寄り道しました。縄文遺跡だと青森の三内丸山遺跡が巨大ですが、それは青森市内かつ比較的海の近くです。舟を使った海上の移動も普通に行われていたと思うのですが、こちらはとても見晴らしの良い 山の奥の台地で、三内丸山に住んだ縄文人と同じライフスタイルだったか?とても同じだとは考えづらいのです。遺跡に立ちながら不思議に思います。標高差のせいか、蔦木宿のあたりは駅のあたりと比べてすこし暑いことに気が付きます。
f:id:tochgin1029:20170914234104j:image さて、蔦木宿を出発すると、せっかく下ったにもかかわらず、また登り坂が始まります。このあたりで、韮崎からの行程で至近距離にあった巨大な崖線もようやく終わります。その終わるあたりで、明治天皇が野立をしたといわれる場所がありました。それは、周りの山々の眺めがとても良い場所なのですが、けれどもこの辺りの農地は、鹿やイノシシといった動物の食害を防ぐために、それぞれが高いネットで囲まれています。旧道の一部もネットで遮断されていました。
f:id:tochgin1029:20170914234447j:imageしばらく国道沿いを歩いてから離れると、かつての街道筋の雰囲気を残した光景が続く集落が現われます。丁寧に保存された建物は少なくても往時の蔵などが残る旧家も点在して、きつい上り坂を登るのもそれはそれで味わい深いのです。途中のとちの木の集落では、ようやく八ヶ岳の山容をよく眺めることができました。雲がかからない八ヶ岳の全景を眺めるのも貴重で、高原の集落に特有なのではないでしょうか、湿度の少ないカラッとした空気感が感じられました。
f:id:tochgin1029:20170914233945j:image その先も登り坂は続いています。なかには旧道のあたりが企業の敷地となっていて、立ち入れない殺風景な個所も混在するのが少し残念なところ。このあたり、反対側からやってくる親子連れと出会いました。父親の方と二言三言言葉を交わします。上諏訪から歩いてきたという親子連れ、父親の方は元気そうでも息子さんはへばっていました。この先の蔦木方面にもう上り道はないと言いましたが、少しは気楽になってくれたでしょうか?このあたりの標高は950mほど。今日の歩きを始めた信濃境駅の標高は930m、下りた蔦木宿は700mですからせっかく下りた200mを登りなおしたみたいです。
f:id:tochgin1029:20170914234526j:image 富士見のあたりからは、徐々に標高が下ります。降りた先で国道と再び合流すれば、小川平吉先生と書かれた、やたら立派な石碑が建っています。山梨の笹子峠では、石碑にされるのは杉良太郎ご当地ソングの歌詞ですが、長野で石碑にされるのは、戦前の政治家である小川平吉の「博愛」とい文字ですから格調がまったく違う。隣県ながら、山梨と長野両県の正反対な気質の違いが面白いですね。そういえば長野県に入ってから沿道にコンビニをまったくみていませんでした。風情を楽しむにはよいけれど、不便さも少し感じます。
f:id:tochgin1029:20170914233836j:image 金沢宿にたどりついても、かつての宿場の雰囲気はあまり残っていません。2~3件古い建物を見かけただけです。宿場を通り過ぎてみかけた「権現の森」という一角にある神社の由来書きを見て合点がいきました。もともとの宿場はこの「権現の森」のあたりにあって青柳宿と名乗っていたそうです。それが、水害によって金沢宿に移転したそうで、なるほどあまり旧さを感じなかったのはそのせいかもしれません。川沿いにはずらっと石仏が並んでいますが、すぐとなりが近所のゴミ捨て場となっています。よそ者にはばちが当たりそうにさえ思えますが、住民にとっては、こういったことには無頓着なのでしょうか。ここからさきは国道沿いの道ですが、主要国道のわりには、そう交通量が多くないようです。
f:id:tochgin1029:20170914233811j:image さて、宿を茅野市内にとったこともあって、本日の行程は茅野駅までです。駅前には80年代に建てられたと思われる駅前ビルが建っていますが、例によってまるで活気がなくなっています。駅周辺を歩くのは学生と年寄りばかりで、地元で職を持って生活している現役世代の姿がほとんど見かけません。現役世代の生活圏からは駅周辺が外れてしまっているようです。そのビルの裏手には大きな鳥居があり、諏訪大社末社とされる神社も駅前にあります。その境内には御柱と思われる木が立てられていて、いよいよ諏訪の地にやって来たことを実感します。翌日は中山道との合流地点、すなわち甲州街道のゴールにたどり着く予定です。