海外の風景を眺める眼差し(東山魁夷の絵画について)

http://www.momat.go.jp/am/exhibition/permanent20170912/ なにもすることのない週末。ひまつぶしとばかりに入った国立近代美術館で展示されていた、東山魁夷の作品を眺めました。名前だけは知っていても、この人の作品を取り立ててながめたことはありません。なので、通俗画を描く人なのかとさえ思っていたのですが、認識不足でしたね。その作品を見て驚いたのでした。国立近代美術館ではたびたび、収蔵されている作品を蔵出しとばかりに、テーマを掲げながら展示しています。今回の展示では、収蔵された作品から東山魁夷作品を中心とした展示だったようです。
 展示された彼の作品でも印象に残るのは、多くの絵で基調となっている緑色です。表向き風景画なのですが、絵の具の違いでしょう。日本画の技術によって製作された絵は、油絵具で描かれた世界とはまるで異なっていて、淡々とした風景のように感じます。描く対象は、海外への旅先での風景のはずで、決してそれが「日本の風景のように見える」わけではまったくありません。ですが、その空気感というのは「海外へでかけた日本人が風景を眺める眼差し」って、たぶんこのように見えるのだろうか?と眺めながら想像がふくらんでいくのです。
 また、一面に森がえがかれたり、川が流れていたりという大きな作品の構図は、どこか新聞の見開き広告の写真のようにも見えます。それは現在では、とても使い古された眼差しだとおもうのですが、製作年代を見る限り、東山魁夷が広告写真の手法をまねしたというよりはむしろ逆、このような眼差しは、戦後の大衆心理を的確に代表していたのだと思います。だからこそ、その視点や構図はテレビ的に大量に模倣されたたのだと思いました。だからといって、それがまったく通俗的な絵ではなわけではなくて、よく見れば、絵の奥にはデザイン的な琳派のような趣きが溶け込んでいたり、北斎の浮世絵にあるような風景画の独特な構図、それ以外にも彼の絵のなかに、さまざまな過去の日本画の手法がかすかに溶け混ざっているのを眺め、ああおもしろいなあと感嘆したのです。
 以前に、同じ近代美術館で藤田嗣治戦争画を眺めたことがあります。http://tochgin1029.hatenablog.com/entry/2015/09/23/220542

そこでは、描く対象としての戦争を、熱狂しながら見つめた藤田の姿を感じました。東山魁夷も従軍経験があるけれど、その絵から感じるのは、戦争が終わったあとに、海外をのびのびと旅し風景を描いているその解放感や空気感が、彼の絵からにじみ出ている。そのことをとても興味ふかく眺めていました。