左手はなだらかな山(北関東の諸街道3)

f:id:tochgin1029:20171119180845j:image 前回の歩きでは八木宿についたのは真っ暗な夕方のころで、あたりの風景もよくわかりませんでした。福居駅に再び降りた後で、かつての宿場跡はどうなっているのやらと探しました。八木宿の本陣跡というのは、現在は八木節会館となっている敷地の手前に発見しました。この八木節会館というのはかつての御厨町役場という敷地だったようで、足利の市街とは離れています。この日は快晴で、近くの母衣輪神社のイチョウの木の黄色が空の青によく映えます。しばらくは右手に田んぼを眺めながらの道です。かつての新田荘から足利荘へと移動していくと、新田荘では水田はあまり存在しませんが、足利荘に入り水田が見えてきます。その先の梁田宿は、すぐ近くにあるらしいのですが、その存在はあまりはっきりとはわかりませんでした。
f:id:tochgin1029:20171119180929j:image そのまま進めば視界がひらけ、渡良瀬川の河原へと出ます。渡良瀬を渡るときの広い視界からは、すでに赤城山は隅に追いやられて、近くの山々のなだらかな稜線が見え、川の向こう側には足利の市街地が広がっています。その光景からは、足利がとても豊かな土地のように見えました。
f:id:tochgin1029:20171119180953j:image橋を渡ったあとの川岸の集落のあたり、道ばたに多くの石碑や庚申塚がとりわけ多く残っているようです。近くの川崎天満宮には例幣使がのこした歌がかかげられています。その3つの歌は、どれも王朝をたたえる内容なのですが、そもそも例幣使が向かうのは世俗の権力者である徳川が祭られる日光ですし、王朝から派遣された例幣使にとってこの道はけっして晴れやかな道でないはずです。この道中での王朝を称える歌というのは、かなり意味深にも想像できるのです。
 神社を過ぎ集落を抜けると、すこしだけ起伏のある道に変わります。小さな山の間を通り抜けると、視界に広がる山々が変わってきます。遠くのほうには白い山肌が見えるようになります。この近くの葛生という場所で、石灰石を採掘され削りとられた山の姿です。足利から佐野へと生活圏が変わると、目に飛び込む風景も変わってくるのです。電車や自動車の移動ではどうしてもわかりづらいことが、徒歩の旅ではよく見えてくるのです。ここから佐野の市街地までの道中は車も少ない静かな集落を通ります。どちらかというと殺風景な場所が多い例幣使街道の中でも、古い街道の風情が比較的に残された場所です。となりには両毛線の線路が見えます。
f:id:tochgin1029:20171119180737j:image途中に佐野市の資料館があり中をのぞきました。田中正造に関する展示や地域の歴史に関する展示物が中心です。資料館の展示によれば、毎年に京都から派遣される例幣使は、一行はだいたい50名ほどで編成されるそうです。そして例幣使がこの街道を利用するのは、日光に向かう往路のみ、復路は江戸に寄り東海道経由で帰るそうです。この街道沿いにどこか西国っぽい風情を感じたのも、この街道を利用する例幣使の流れが、西から東への一方通行で、それとは逆の東から西へといった流れが存在しないことと関係があるのかなとも思いました。f:id:tochgin1029:20171119180631j:imageたどり着いた佐野の市街もそうとうに旧い町で、とても活気があるとはとてもいえない街のなかには、旧い看板建築や旧い商店が街道沿いにポツポツと立っています。その市街地を横断するように街道は進んでいます。その市街地は延々と犬伏宿まで繋がっています。佐野の市街地で何が目立つかといえば、ラーメン屋が一番目立つのです。佐野ラーメンで知られる街とはいえ、とりたてて繁華街でもない道路沿いには、300mごとにぽつぽつとラーメン屋が立っていて、どの店にもそれなりに客が入っているようです。ちょっと尋常じゃない印象を受けます。f:id:tochgin1029:20171119180721j:image市街地の終わりには米山古墳が建ち、そのわきには薬師堂が立っています。真田父子の「犬伏の別れ」という一件で著名になったらしくそれとわかるよう境内には旗が立っています。太田の天神山古墳とは違い、古墳と称さなければ普通の小山で、あまり古墳とわかりません。
f:id:tochgin1029:20171119180502j:image その古墳を過ぎると、起伏のある山の間を街道は進み、その起伏を抜ければ、目の前に異様な形をした山が現れます。岩舟山というこの山は、岩石の採掘によってこの異様な山体になったそうです。岩石の採掘が現在も行われているかは不明ですが、このあたりの街道は、わきを通っていく車列のうち、何台かに1台は必ずダンプカーが通行していて、その頻度はちょっと異常に感じるほどです。ダンプから落ちたのかこのあたりの路面は白っぽく、なにやら粉っぽい道だなという印象です。
 岩舟山がみえなくなるあたりから日もすっかり落ち、暗くなってきました。先を急ぐように街道を歩くと、荒々しい岩舟山の山体から別の山に変わっていますf:id:tochgin1029:20171119180446j:image富田宿の本陣跡についたころには、すっかり暗くなっていました。今日の行程はここまでです。左手に見える山々の姿が刻々と切り替わっていき、この地域の生活圏も連動して区分けされているようです。例幣使街道を歩いて3回目で、その意外な面白さに気が付きました。