飼いならしは愛?その1(サンテグジュペリ「星の王子さま」)

部長、その恋愛はセクハラです! (集英社新書)ほんの数ヶ月まえでは、国内でもっとも報道されたのは有名人のセクハラ騒ぎでしょう。けっして、そんな騒ぎが自分に無関係とは思えないし、「社会人の教養」みたいなものとしても知っておいたほうがよいだろう。そんな軽い気持ちから、集英社新書「部長、その恋愛はセクハラです!」を読みました。そこには(特に職場での)誤解に基づいた男女の考え方の違いが描かれていたのでした。
 女性が示す表面的な親身さとはうらはらに、本音では真逆な気持ちを持っていることもある。だいたいの男性は、そのことに鈍感でかつ理解できないこと、さらには勘違いすること。もっとも腑に落ちたところで、諍いの源はそこにあるようです。女性たちが本音でかかえたストレスをそれとは見せないよう、表面上の親身さを演出できること。そのすごいギャップは、男性のわたしにはとても真似などできないし読み取れもできないだろう。上司や部下といった関係がある職場で「女性ははっきりとNoは言わないものだ」なんてところ、教養や知識として外形的にでも取り入れない限りは、男性にわからないだろうとも思いました。自分だって、読みながら胸に手を当て、昔のあれは、実はハラスメントではなかったか?苦い思い出が蘇ることもありました。気を付けなければと素直に思います。
 その一方では、呑み込めないところもあります。例えば、はっきりとNoを言わない振る舞いを意図的に行った結果、異性を振り回している女性たちを、かつて「悪女」とか「小悪魔」と呼んでいました。こういった振る舞いは、悪意をもって利用されば、それは立派なハラスメントになるだろうなとも思うのです。

星の王子さま (中公文庫)星の王子さま」という、サンテグジュペリの書いたよく知られた物語があります。この「星の王子さま」をハラスメントという切り口で解釈した本を、安冨歩さんが書いています。原典の「星の王子さま」を読んでも、非常に示唆に富んだ物語でした。以下のようなあらすじです。

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 小さな星でひとりで暮らす王子は、放置すれば星を覆ってしまうパオパブの木を間引いたり火山のすすを払ったりして毎日を暮らしています。あるとき他所からやってきたバラの種を見つけ、いつもなら間引くはずの苗を抜かずに水をやり、花が開くのを待ちつづけます。ついに咲いたバラの花に、王子は「美しい」と感嘆しますが、バラは咲くやいなや「水をちょうだい」とか「衝立をつけろ」など、あらゆる要求を突き付け、せっせと要求にこたえるうち、王子の生活は憂鬱になります。いよいよ耐えられなくなり、王子は星から出ていくことにし、バラに別れを告げます。罵倒されると思った王子は、真逆な「わたしがばかだった」との言葉を聞いて混乱します。王子の心に罪悪感という傷を抱えながら旅立ちます。ずっと罪悪感を抱えながら、王子は憂鬱な旅を続けることになるのです。
 王様、実業家、酒のみなどなど。いろいろな人間や動物たちと出会いますが、彼らの多くを「本当はなにがしたいのか自分でわかっていない」と王子は評します。地球ではバラと寸分たがわぬ花が5000本も咲いていました。バラの花は、自分の星にひとつしか存在しないと思っていた彼は絶望します。 
 その時に王子はキツネと出会います。キツネは、バラと王子との関係はバラが王子を飼いならす関係で、飼いならすことでバラと王子は特別な関係になる。地球上にいくら5000本のバラがあっても、そのバラと王子に関係はない。時間と手間をかけて世話した1本のバラだけが王子にとって大切な花なのだと。人と人とが関係を持つことの素晴らしさを「ほんとうに大切なことは目には見えない」という有名な言葉とともに告げます。王子は自分の星に帰りたいと願い、足を蛇にかませて自殺をし、星に帰っていきます。

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 数ある「星の王子さま」に関しての本には、バラと王子さまの関係を理想の愛の形として絶賛する解説書もあるようです。また、女性作家が描く恋愛小説には、ときどきナイーブで思い悩む男性たちが美しく描かれる場面があり、それは「星の王子さま」で思い悩む王子のようです。

 なぜ、キツネはバラと王子との関係を「飼いならし」と形容したのでしょう。支配と服従という意味を感じさせる言葉だから引っかかるのです。バラと王子の関係を理想の愛だとするように、自分の「王子さま」を所有して飼いならすことって愛なのでしょうか?ハラスメントと恋愛が違うのだから、飼いならしと恋愛だって違うのではないか?という疑問が頭をもたげてきます。
 この疑問「誰が星の王子様を殺したのか?」を読まなければ済まなさそうです。このことは次回の記事にします。