奈良時代「私」のゆくえ(橋本治「双調平家物語」2)

双調平家物語4 奈良の巻 (中公文庫)天皇は悪くない。悪いのは君側の奸だ」という大義は、近代では226事件の反乱将校たちにも使われた、日本における反乱事件の常套句です。権力者そのものを問わずに、周囲の側近たちが諸悪の根源だという、その屈折した理屈のわかりづらさは現在も引き継がれています。橋本治さん「双調平家物語」では、奈良時代に王朝に反逆したとされる事件が多く起きています。反乱事件の大義を、反乱者の「天皇は悪くない。悪いのは君側の肝だ。」という、226事件と同じ理屈の原型として見ています。

例えば、藤原広嗣は、他と比べ自分の官職の位が不当に低いと不満を持ちます…さらに太宰府に転勤になることで自分は虐げられているとの思いに至ります。それは、当時の秩序からすれば、さして不公平ではないけれど、意見をしたのですね、そのことから彼が「私心」を持つものとして排撃されるのですが、とうの本人には反乱を起こしたという自覚はまるでないのです。今でこそ、このような藤原広嗣のような行動は、単なる不平不満であると断定できるのですが、奈良時代に「私」とは帝の占有物であって、帝以外の人が「私」を持つことは、即ちに御世に対する反乱だとされる。ただし、当時の人が「私」を持っているだという自覚はないものだから、どこか奈良時代の反乱は、首謀者とみなされた者が、本人も理由のよくわからぬままに誅されることが多い。

一方で、子供の頃から将来の天皇の座を約束付けられながら育った聖武天皇にとって、「御世がよからぬ有様」であることは、「私」を否定されるに等しく映るのでしょう。ましてや「自分を憎む者がいる」という事実を知ることは、彼にとって認めたくない事です。聖武天皇は、一時平城京を出て点々と宮をとっかえひっかえしました。これなどは、明らかに藤原広嗣の影に怯え、うろたえたゆえの行動です。現在のわれわれから見れば、この聖武天皇の行動は、ただのわがままでしかないでしょう。でも、聖武天皇自身には、おびえている自覚がなく、その行為を「私利私欲」などとは全く思っていない。なぜなら奈良時代に「私」とは帝の占有物だからです。

聖武天皇藤原広嗣も、自身の「私心」を持て余しながらも、それに全く気がつかないところは同じです。本質で両者を分けへだてるものはないのですね。たまたま、帝以外の者が「私」を持ったことが悲劇のもとなのです。

もちろん「私」が帝にしか存在するなんていうのは、現代から考えれば、全くのフィクションです。けれど、それがフィクションだと気が付くのには、帝と貴族の世が終わり、中世がやってくるのを待たなければならなかったのです。