ブラックジョークっておもしろいですか?

 この頃、ブラックジョークというものに笑えなくなっている自分を発見しました。ほんの数年前なら気軽にわらいとばせることも、とても笑いとばすような気分になれない。新しいお笑い芸人などは、テレビからいっぱい登場しますが、それだってあまりおもしろいとは思わない。もしかしたら自分自身のありようが変わったのかもしれません。でも、同じように世相が変わったのかも知れません。
  さて、ブラックジョークが流行るような世の中ってどんなものかといえば、ひとつは、70年前の戦時下の各都市でしょう。いつ米軍が空襲してくるかわからない、おびえたように暮らす極限状態のような日常では、ブラックジョークでも吐かなければとても正気を保てない。毒を吐かなければ、自分と狂気のような現実の間の境目を分けることができない。ブルースや演歌のように、つらい現実を正気を保って耐えるためのものだと言えるかもしれません。
 もうひとつは、80年代の日本で典型的だった、ホンネという名の露悪主義ですよね。毒舌漫才が発生しビートたけしが世に登場したのもこの頃です。タモリだって、当時はそのような文脈の立ち位置であったのを覚えています。世の中は一億総中流時代と呼ばれ、冷戦下の海外も、海をへだてた日本列島の日常にはあまり影響がない様に見える。中曽根さんは、日本は単一民族国家 だと言うくらい、みんな一緒で同じだと錯角する。平板な日常がこの先も続くのではないかとさえ思う。その中で、あえて露悪的なことを話し、自分と周りの平板な世の中とを分けへだて、自分自身のりんかくをはっきりさせるような作業だったのでしょう。
 やがて世紀もかわり、のほほんとした気分が変わったのは、911の衝撃と311の衝撃なんだと思います。映画のようなワンシーンは、いままで、ブラックジョークとして笑い飛ばしていたような光景が現実化してしまったようなものです。たとえば、椎名林檎のような右翼の意匠で遊ぶのは、同じような格好で、真顔で街中を練り歩く人々が登場した後では、もうジョークとして通用しない。もはや笑うこともできない。時代が変わったのだと思います。