ポエムにならない絵画(藤田嗣治の戦争画)

国立近代美術館では、現在、藤田嗣治戦争画が特集として展示されています。藤田嗣治は、日中戦争~太平洋戦争で従軍し、数々の戦争画を残しています。橋本治さんの「ひらがな日本美術史」によれば、とかくポエムに陥りがちな日本近代美術の迷走に迷走を重ねている中で、ポエムに陥らない表現になっている貴重な例として、とりあげられていて、以前にも記事として書きました。http://tochgin1029.hatenablog.com/entry/2015/08/13/133556 
今回、特集展示されているのは近美で所有している彼の戦争画です。会場は彼の年譜にそった展示がされていますが、その中心になるのは、彼が従軍しながら書いたり、兵士から聞いた内容をもとにイメージを膨らませて書いた戦争の風景を描いた絵です。
 たしかに、実物を見て驚きました。近代日本美術や文学は、とどのつまり「私」を主題としている作品がほとんどです。観る方も、どうしても作品を見ながらも、画家の私生活や心象風景などを思い、画家が絵に込めた「思い」なんかを想像するのですが、ここではそんな想像力は全く必要ありませんでした。たとえば、藤田嗣治がなぜ戦争画を書いたのか?とか、どのような思いで戦争協力したのか?なんて「文学的」なことは、ここでは必要がないのです。
 「アッツ島玉砕」ここには、血しぶきが飛ぶような表現はありません。かといって、はなばなしく敵をやっつける日本軍兵士の姿もありません。ここにはさまざまな表情の兵士たちがいて、そのひとりひとりの顔が、どこにでもいそうな等身大の兵士の顔に見えるのです。もちろん、現実の日本軍には階級による格差が歴然としてあるはずですし、後年にこの絵をみた旧日本軍兵士が、この絵に真実が描かれていないと批判しています。けれども、この絵の世界では、貧富の差がない戦場で、みなが協力して平等に戦っているように見え、その世界は魅力的にさえ見えるのです。表面的にはプロパガンダ然とはしていないこの絵を、藤田嗣治は作為的にプロパガンダとして描く意図はなかったでしょう。でも、この絵そのものは明らかに戦意高揚のプロパガンダとして流通する機能を、完璧に満たしていると思います。
 史実としてのアッツ島玉砕は、国内ではひた隠しにされたわけではなく、犠牲があったことも報じられていたようです。戦況が厳しくなるなかで、それでも戦争を続けていくためには「厳しいけれど皆で頑張ろう」と、国民の戦意を方向付けさせなければならない。藤田嗣治の「アッツ島玉砕」は、この方向付けとしての表現を完璧に満たしています。
 戦争後の藤田嗣治が、戦争協力者として非難されるのは、しかたがない事だと思います。内心で彼が戦争に反対であったかどうか、というのも重要な事ではないように思います。おそらく、画家としての彼にとって戦争は、描く対象としてとても魅力的なものであったこと、彼が戦争画を書いている時、たしかに彼は高揚していたし、私的なポエムが、そのなかに入り込む余地はなかったのだと思います。
 戦争という極端な形でしか「公」がたち現れないことは、「御一新」という上からのかけ声で始まった、日本の近代の悲劇です。この「公」は、普通の市民から発せられたのではなくて、権力者からあてがわれた「公」なのです。ほんとうなら藤田が描いたような人々の有りようというものは、戦争という題材によらない、権力者があてがうのではないあり方で、描くことはできなかったのだろうか?という疑問は、戦後70年たって、今の政権によってつぎつぎと不戦のための安全弁が取り除かれていく現代だからこそ、有効な「問い」だと思っています。