桃山の時代精神みたいな(出光美術館「桃山の美術」展)
もう一週間もまえのこと、出光美術館に「桃山の美術」展を見に行きました。古来の絵巻物や屏風絵を所蔵しているこの美術館では、こうした屏風絵や絵巻物の展示を時々することがあって、好きな美術館のひとつです。そして、ここから見える皇居の眺めも好きなところです。正直、この「桃山の芸術」の展示の半分をしめる、陶器については、よくわからなかったのですが、もう半分を占める、屏風画をおもしろく見ることができました。今回は、長谷川等伯や狩野派の屏風絵などが展示されていました。
水墨画というのは、至近距離で見れば、筆で記された点にしかすぎないのですが、遠くから見ると、それが虎だったり木を描いた形として見えて、浮世絵のように輪郭線はない。今でこそ、この白と黒のモノトーンの世界は現実の世界とはかけはなれた、幽玄の世界のように見えるかもしれませんが、この時代の人たちが、世界をこのようにとらえていたと考えるとおもしろいですね。竹が描かれた屏風絵など、ぼんやりと描かれた竹と具象的に描かれた竹の絵が入り交じっていて、背景の中に竹が溶けてしまいそうに見えます。能のあらすじのように、中世の世界の日常は、人々の暮らしととなりあっている。霊魂や呪術、まじないのようなものを身近に感じながら暮らしていたのだろうと想像できます。
反対に、狩野派の屏風には、精神性よりも世俗的な印象を強く感じます。屏風には、花の絵と松やら鶴の縁起物が並べられて、もちろん現実の風景を写生したものではありません。そして、折れ曲がった木の幹などは今でいうデザインぽく見えます。展示されたなかでは、屏風のなかに描かれた扇形の枠の中に、様々な意匠の絵が描かれている屏風が印象的でした。解説によれば、狩野派の器用な絵師たちは、水墨画、やまと絵、唐絵をそれぞれ描き分けることができるとのとこと。狩野派こそが、古今東西のジャンルの絵画を統合したと豪語する。この屏風絵には、そんな狩野派の自負心が現れています。