明治人の力量(学術文庫「日本の歴史21」明治人の力量)

明治人の力量 日本の歴史21 (講談社学術文庫)


 一年前に、どんな記事を書いていたのだろうとひっくり返したところ、12月18日に、松本健一さんが書かれた明治天皇のことに言及しています。明治という時代を引っ張ったというよりは、時代に振り回された感が強い明治天皇の一生は、「ご一新」の号令のもと、突然に始まった近代かに多かれ少なかれ明治人たちを代表しています。それから、一年たって書いた記事を明治について書くのは進歩があるのか?ないのか?・・・・
 ただ、一年たってみて思ったのは、そもそも「明治維新の近代化の奇跡」というのは、あまりにも明治政府の側に寄った見方ではないか?と疑うようになり、そもそも明治維新など起きなくとも、どのみち日本の近代化は達成されていた。と考えるようになりました。
 幕末のころ、すでに、徳川中心の幕藩体制から有力大名たちの合議による体制に移行する動きが始まっています。移行期をうまくのりきれていれば、京都の公家たちが政治の表に出る幕はなく、薩摩や長州を倒幕へ追い込むこともなかったでしょう。起きなくてもよかった維新クーデターが起きた根本には、公家たちの偏狭な攘夷思想と野心があると思っています。公家たちの発言力がましたのは、彼らの高い見識と政治力によるものでなく、まわりの期待値が膨らんだだけのこと。むしろ幕府側に有能な人材は十分に居て、むしろ維新の混乱で有能な人材が失われた。歴史的な損失だと思うのです。
 さて、明治時代について書かれた巻「明治人の力量」は、前巻とは異なり、維新の歴史の課程を肯定的に捕らえていますが、それで、上に述べた私の考えが変わることはありませんでした。著者によれば、維新の元勲たちが目指した国是というのは「国の自立」という非常に曖昧な概念でした。目的が達成されたあとに国をどうやって成り立たせていくか?という解を、彼らは持ち合わせていませんでした。彼らの無知にほかなりません。共闘したり対立したりしつつも、新政府を軌道にのせていった元勲たちの手腕は否定しませんが、そもそも「国の自立」というものは、けっして国を成り立たせる理念になどなりません。実はおかしなことです。
 客観的にみて、日清・日露の戦争や不平等条約の是正がされれば、その後の軍事行動や領土の拡大は、まったく不必要なものでした。清や韓国との関係は、敵対しない担保がつけば十分で、なにも自国領にしてしまう必要などない。併合することで被る負担の大きさを、政府内でわかっていたのは伊藤博文ぐらいで、彼は韓国を併合する必要はないと判断していました。だから、彼が帝国主義の象徴として暗殺されるのは、実は皮肉なことです。
 短期的な目標を達成した後で、国をどうやって成り立たせていくか?という解をもたないことで、日本という島国は、歴史上で同じ間違いを繰り返しています。たとえば、日露戦争に勝ったあとで、目先の大陸権益の強奪をやめられなくなり、破滅を持たらしている。高度成長がおわったあとも、消費社会を中心とした価値観を切り替えることができず、バブル経済とその崩壊をもたらしている。そもそも古代だって、中国の帝政そっくりに国の仕組みを作り軌道に乗せた後に、迷走を続け仏の加護に頼りながら奈良のくにづくりは破綻している。奈良に残る立派な寺社や仏像や大仏を、一方では国の政策の迷走のはてに生み出された産物と見ることもできるのではないでしょうか?
 激変と混乱の社会を生き抜いた、明治人たちの逞しさには敬服するものの、その激変の中には、避けられたはずの混乱もあるでしょう。その原因は、残念ながら先人たちの無知から来たものだということが一年を経てわかったことでした。