台地の上を通る(甲州街道を歩く2)

f:id:tochgin1029:20161113113329j:image 今回の行程は、京王線芦花公園駅からの歩きです。私鉄の駅につづく商店街と生活道路のコンビは、生活するには気楽そうですが、よそものにはあまり変哲のない街で、面白味のないところです。
 ところどころに通り過ぎる川はコンクリートだし、あたりはケヤキ並木のつづくバイパス道。通り沿いに起伏はあまりないのですが、道のわきをみれば起伏のある地形のなかを通っている。台地状になった土地の中を通っていることがわかります。その台地から坂を降りるところだけバイパス道から分かれているます。その瀧坂と呼ばれるあたりだけが、わずかばかり旧道の面影が残っていて、薬師如来があります。
f:id:tochgin1029:20161113113423j:image 調布市にはいると、すこし沿道の建物の高さが低くなってきて、空が広くなってきます。国領のあたりがかつての宿場町のようです。あいかわらず、マンションなどが立ち並ぶ無味乾燥な町に、それでも古い寺や神社が残るあたりは、宿場のなごりを感じます。調布駅は数年前に地下駅となっていて、かつての駅前はぽっかりと空洞のような空間がひろがっています。いずれ、駅前広場はバス停として整備されるのでしょうし、再開発ビルが空間を塗りつぶすように建つのでしょう。でも、空っぽの空間を空っぽのまま残しておけばいいのにと思ったりもします。
 調布駅を過ぎて、台地上の道はえんえんと続いていますが、しだいにまわりはゆったりとした敷地の家がめだつようになります。そんな途中に、寺があって門のまえには新撰組で有名な近藤勇銅像がたっています。f:id:tochgin1029:20161113113501j:image彼はこの地の出身なのだそうです。この寺には立派な山門もあります。江戸時代の末期ともなれば、そうとうに農業の技術も発展した時代です。江戸の大消費地を控えたこのあたりは、かなりの豪農を排出したのではないかと思います。そして、豪農たちの知的欲求はかなりのもので、そんな知的欲求にあふれた環境が、近藤勇という政治的な人物を生んだのではないのでしょうか?この土地を歩きながらそんな想像がでいるのです。
 あいかわらず、台地の上はのっぺりとした住宅街がえんえんと続いています。地蔵やら石碑をのぞけば家も道路もどこか均一なところが、のっぺりとした印象を受けるのです。台地の上は強い風がよく通る場所です。そして、その場所は、昔の面影などのこらない住宅街。台地の上って家も田畑も風景も非常に移ろいやすい土地のように感じるのでした。
f:id:tochgin1029:20161113113523j:image 府中の町は、名前のとおりかつての武蔵の国の政治の中心です。今の大国魂神社のあたりが国府のあったあたり。ほかにも八幡神社もあります。ただ、台地の上にたつこの神社からは、ふしぎと霊的な印象を受けません。近畿の都の目線から見れば、この場所に国府が建つことの意味は、武蔵の国は「台地の広がる国」として都からは捉えられていて、その台地を征する存在として国府がこの場所に建っている。
 今日の歩きはここまでです。まだまだ単調な住宅街はつづきます。